どうせドラマや映画は女優事務所が青田買いした人材がごり押されるんだから意味がない。テレビに出続けるためにはワイプ芸や大喜利力を磨くしかない 渋谷みたいに VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:: EXT was configured
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売れっ子になる為には歌や芝居なんて磨いてもしょうがない
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)にお笑い部門を立ち上げ、コウメ太夫、バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、錦鯉などの人気芸人を世に送り出してきた平井精一さん。クセの強い芸人さんたちをどう集め、背中を押してきたのか。平井さんの仕事論を聞いた。 平井精一 ひらい・せいいち 渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)を経て、1998年、ソニー・ミュージックアーティスツに入社。2004年、同社にお笑い部門を立ち上げる。SMA NEET Projectといったプロジェクトや専用劇場「Beach V(びーちぶ)」などを手掛け、多くの芸人を輩出している。 「今しかない」とお笑いに参入 ──どういった経緯でSMAにお笑い部門を立ち上げられたのでしょうか。 平井 SMAは音楽系と俳優・文化人系のグループ会社が合併したばかりで、「好きなことをやれ」って社長から号令があったんです。そこにちょうど、『エンタの神様』(日本テレビ)ブームが来て。ブームのときって、「俺でもできるや」って勘違いした芸人が集まるんですよ(笑)。それと、東京のお笑い事務所は少数精鋭のところばかりなので、都内にフリー芸人があふれているのも気になっていました。 ──いろんなタイミングが重なって、「お笑いをやってみよう」と。 平井 そうですね、「今しかない」と。でも、こんなに芸人の出演番組が増える時代になるとは思いませんでしたね。逆に今だったらやってないんじゃないかな。やっぱり芸人が財産なので、芸人たちを集められたのが大きかったと思います。 ──とはいえ、あふれているフリーの芸人さんとなると、あまりテレビ向きじゃないというか、マニアックな芸風の方も多い印象です。そこは問題にならなかったのでしょうか。 平井 車でたとえると、軽自動車ばかり売ってたり、スポーツカーばかり売ってたりすると、事務所としてテレビ番組に対応できないなと思っていて。いろんなヤツがオールマイティーにいたほうが、いろんな番組に突っ込めるじゃないですか。特定のイメージより、「あそこだったらなんかおもしろいヤツがいるんじゃないか」っていうイメージを持たれたほうがいいなと。 ──芸人さんが集まったところで、どう売り込んでいったんですか? 平井 渡辺プロダクション時代の人脈が残っていたので、東京の各プロダクションのマネージャーさんのところに挨拶がてらリサーチに行きました。どういうふうにマネージメントしていて、どんな番組に売り込んでいるのか。ライブも観せてもらいましたね。あとは(番組側に)頭を下げるだけです。音楽の宣伝をやっていたときにさんざん頭を下げてきたので、そこはもう慣れてますんで(笑)。 「好きなことがやりたいのか、成功したいのかどっちですか?」 ──SMAといえば個性的な芸人さんが多いイメージですが、平井さんはそんな芸人さんたちをどうサポートしてきたんですか? 平井 僕は芸人にまず「好きなことがやりたいのか、成功したいのかどっちですか?」と聞くんです。好きなことをやりたいなら事務所に入る理由はないし、成功したいなら成功に歩み寄らないといけない。その上で、毎月やっている事務所ライブでは新ネタをやってもらいました。 ネタ番組に何度か出ると、土日の営業が入るようになるんですよ。でも、ネタ番組の傾向って時代によって動いていくから、ずっと同じネタだと対応できない。だから、どんどん新ネタをやれと。 ──時代やメディアの要望に合わせて、キャッチーなネタを作れるようになってほしいということですかね。 平井 そうですね。芸人によりますけど。お笑いの教科書はどの事務所にも養成所にもないんだから、時代を見てくれ、テレビを見てくれ、と言っていました。あとはお客さんが共感できるネタを作ってくれと。 お笑いから離れていた僕が偉そうに評価するのもおかしいし、ほかのスタッフが評価しても方向性を間違ってしまう可能性がある。売れるネタに歩み寄るには、お客さんに判断してもらうのが一番なんじゃないかと思うんです。だから、ライブもお客さんの投票でランクづけするシステムにしています。 ──そうやって数をこなしていると、だんだんネタも変わってきますか? 平井 やっぱり毎月新ネタを作っていると、どこかで方向性を変えざるを得ないというか、勝手に変えてきちゃうというか。それでウケるようになってくるヤツがいると、ほかの芸人も引き寄せられたりする。芸人同士の仲がいいせいか、みんなでサポートしたり、相談したりするんです。 人の言うことなんて聞かないヤツもいますけど、ランクの1軍に入れば番組のオーディションに入れるようにしたことで、自ら試行錯誤してくれるようになったところもありますね。 必要なのは、「3分のネタ2本とトーク力」 ──テレビで活躍しているバイきんぐさんやハリウッドザコシショウさんといった方々も、試行錯誤を重ねてこられたのでしょうか。 平井 バイきんぐなんかは、「いい加減にしてくれ〜」って思うくらい、クレイジーなネタをやってましたよ(笑)。それでも、舞台上で光るものがあったので、もっといろんなネタが作れるように、単独ライブをやれと言ったんです。小峠(英二)は嫌がってましたけど、とにかくやらせてみたら、また好き勝手にやっていて……。 今度は2組でやるライブにして、テーマに応じたネタを作るというコンセプトを決めたんです。お客さんの評価のもと、2組でネタ6本を対決させるようにした。そこからバイきんぐのネタがガラッと変わっていきましたね。何かをつかんだようにネタを量産していって、『キングオブコント』優勝にまでつながりました。 ──今や誰もが小峠さんのバラエティスキルを認めていますよね。それもライブをやっていく中で磨かれたものなのでしょうか。 平井 昔から小峠には「トーク力が大事だ」って口酸っぱく言っていたんですよ。「テレビはまずネタありきで、そのあと、バラエティの雛壇に並ぶようになってからはトーク。トークができないと絶対に残らないから」って。 ──平井さんのそういった認識は、テレビを観たりしながら気づかれたものなんですか? 平井 渡辺プロダクション時代に担当していたホンジャマカさんの教えかもしれないですね。恵(俊彰)さんがトーク、トークと言っていたので。逆にトークが苦手で、テレビからいなくなっていったタレントも見てきました。 それで、芸人たちには「3分のネタ2本とトーク力があれば、絶対に芸能界を闊歩(かっぽ)できるから」って言うようになったんです。「ネタはとりあえず3分だけ楽しけりゃいいんだ、トークだって先輩のおもしろい話をそのまま話したっていいからとにかくメモれ!」と。 きれい事でも、できるだけのことはしたい ──平井さんは常に劇場(Beach V)にいらっしゃるんですよね? 今の劇場や若手の芸人さんたちの雰囲気は、どんなものなのでしょうか。 平井 ネタ見せと土日ライブはほぼ見るようにしているので、週4日は劇場にいます。新人の応募も多いんですけど、「では、3分のネタをお持ちください」って返信すると返ってこなかったりする。みんな軽い気持ちで、1から10まで育成してくれると思ってるんですかね。 でも、やっぱり人が財産なので、そこで値踏みするんじゃなくて、事務所で成長させたいという気持ちがあります。勇気を持ってお笑い事務所の門を叩いてきた人を、たまたまマネージャーの仕事をしているだけの僕たちがジャッジしていいのかなって思うんです。きれい事ですけど、誰かがそのきれい事を押し進めないと、泣くヤツがいると思ってるんでね(笑)。 ──出会いやタイミング、その後の努力などによって、芸人さんが化けることもありますしね。 平井 コウメ太夫もそうですけど、「このネタはないな……」と思っていたような芸人が突然化けることってあるんですよ。だから、うちではできるだけ芸人たちを受け入れたい。まずはプロの舞台に乗せてあげて、そこで可能性を見極めたり、チャレンジしたりしたほうがいいと思うんですよね。 ──ちなみに、平井さん個人としては、どんなお笑いが好みなんですか? 平井 人力舎の芸人さんたちがやるような、きっちり作り込まれたコントが好きなんですよ。ハリウッドザコシショウとかはちょっとね、見てると疲れてきちゃう(笑)。 芸人たちに背中を見せるため、空手の道へ? ──平井さんにとっての「サボり」とはどんなことですか? 平井 現場が重なったときに、好きな現場に行くっていうのはサボりかもしれないです。楽しそうなほうに行っちゃう。昔からこんな調子で、仕事をしながら自分で楽しみを見つけているような感じなんです。お笑いの現場に関わるのも楽しいし、音楽のマネージメントをやっていたときも、それはそれで楽しんでいました。 ──お仕事以外の趣味や息抜きなどはありますか? 平井 今はコロナで行けてませんが、2011年から極真空手はやってますね。それも芸人たちに発破をかけたくて始めたんです。高校球児が甲子園に出て負けたら、涙を流すじゃないですか。あれって限られたチャンスのために死ぬほど努力してきたからだと思うんです。だから芸人が記念受験みたいに「今年ダメだったら、また来年」って気持ちで賞レースに出ているのにすごくイライラして。「お前らの人生なんだから、もっと気合い入れろ!」と言いたくて本気で空手をやりました。 ──「俺の背中を見ろ」と。 平井 やり始めて半年後には大会に出て、黄帯(5級)になったときには関東の大会で準優勝しました。ただ、芸人たちにも「見に来い!」って言ってビデオを撮らせてるんですけど、一度、回し蹴りで思いっきりノックアウトされたことがあって。そのときは「これ、俺の葬式で流してくれ」って言いました(笑)。 ──やっぱり一番喜びを感じるのも、芸人さんが活躍するときなんでしょうか。 平井 そうですね。バイきんぐの『キングオブコント』優勝や、ハリウッドザコシショウとアキラ100%の『R-1グランプリ』優勝もそうですし、芸人が賞レースに優勝したときが一番感動しますよ。やっぱりチャンピオンになったときの彼らの“報われた感”はもう最高ですよね。こんな人生を味わえるとは思わなかったってくらい。 少なくとも東京で一番のお笑い事務所にしたいので、これからもさらに打率を上げていきたい。SMAでナンバーワンになれば売れると言われるくらい売れっ子を輩出していって、もっと芸人たちのモチベーションを上げたいんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
「自分の感性を信じて のんびり結果を待つ」 ■自分に合っている言葉は“果報は寝て待て”「売れるものを作ろうというつもりで作っているわけではなくて、自分が思いついたものや好きなもの、楽しめるものを作って、周りの人がどういうふうに評価してくれるかをのんびり待っているような感じなので、“果報は寝て待て”というのが自分にぴったりの言葉かなという気がします。」
「フェアトレードを広めるために必要な事」 「『途上国でできました。これを買ってください。だって誰かの役に立っているから』ではなくて、そのデザイン力や売る方法、品質が本当に心地よくて、その商品が売れるものであるという事が大事なんですね。持続的にその地域のものを買って頂く、食べて頂くためには、美味しさも追求しなくてはならないし、トレンドに合った洋服を作っていかなくてはならない。そこは一生懸命に、手を抜かないでやっていきたいと思っています。」
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回は実話怪談界をリードする怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんに、怪談との出会いやこれまでの活動、実話怪談の魅力などについて聞いた。「虚実のあわい」にあるという怪談が、なぜブームと呼ばれるまでに広まっていったのだろうか。 吉田悠軌 よしだ・ゆうき 怪談・オカルト研究家。早稲田大学卒業後、ライター・編集活動を開始。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長として、オカルトや怪談の研究をライフワークにしている。TBS『クレイジージャーニー』など、さまざまなメディアに出演。テレ朝動画『あなたのまだまだ知らない世界』ではナビゲーターを務めている。怪談に関する著書も多数。近著として、『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』、『現代怪談考』などがある。 好きで始めた怪談が、やがて仕事に ──吉田さんが怪談の道に進んだのは、稲川淳二さんの怪談に出会ったのがきっかけだそうですね。 吉田 はい、2005年ですね。もちろん、小さいころから怖い話などには触れてきてはいましたが、「怪談をやりたい」と思ったのは社会人になってから、まあ、就職できず社会人にはなれなかったんですけど(笑)、稲川淳二さんのライブを観たのがきっかけですね。それで、一緒にライブに行った今仁(英輔)さんという人と怪談サークル「とうもろこしの会」を立ち上げました。 最初は仕事にしようとか、お金にしようとかいう気持ちもなく、怪談好きの人とただ飲み会をやっていた感じで。当時は今ほど怪談が一般に浸透していなかったので、普通の飲み会で怪談の話をすると引かれたというか……まあ、今でもそうでしょうね(笑)。それで、数少ない同好の士と怪談について語り合っているうちに、だんだんLOFT(新宿などにあるトークライブハウス)なんかでイベントをするようになったというか。 ──だんだんお仕事として活動できるようになっていったと。 吉田 時代がよかったんですよね。業界で怪談のプレイヤーを育てようという動きが起こったタイミングだったので。怪談をリードする出版社の竹書房が新人発掘のために『超-1』という実話怪談著者発掘の大会を始めたり、LOFTでも若手の怪談プレイヤーで新しいイベントを企画していたり。それがちょうど2005~2006年くらいだったんです。 私も書き手と語り手の2本柱で活動するようになりましたが、それでも職業にできるほど稼げるまでには7~8年かかっています。その間はずっとバイトをしていました。営業前の居酒屋を借りてイベントをやっても、お客さんがふたりだったこともあって……それこそ『浅草キッド』みたいな状況でしたね(笑)。 30年以上の歴史の中で広がっていった「実話怪談」 ──そこから吉田さんが怪談を仕事にできるようになったのは、何か転機などがあったのでしょうか。 吉田 ある時期を境に大きな変化が起きたわけではなくて、怪談がだんだん社会に受け入れられ、仕事が増えていったという感じですね。やっていることは変わらないのですが、本を出したり、イベントをやったり、メディアに出たりする機会が多くなった。 昨今の怪談は主に本当にあった怖い話である「実話怪談」と呼ばれるものなのですが、私はその動きを15年スパンで3期に分けています。第1期は1989年~90年くらい、平成とともに始まっていて、私は第2期が始まる2005年くらいから活動を開始しました。そして、平成とともに第2期が終わり、令和とともに第3期が始まった。こうしてゆるゆるとシーンの裾野が広がっていったというイメージですね。 ──3期の違いというのは、どういったところにあるんですか? 吉田 第1期はすでに名が売れている作家さんの本やイベントを楽しむような受け入れられ方でしたが、第2期になると、一般の人も「怪談をやろう」とプレイヤーとして動き出すようになりました。私も含め、名もない怪談好きたちがインディーズでバンドを始めるように怪談を語るようになったんです。 そして第3期になると、インターネット配信によってプレイヤー数が爆発的に増えました。YouTubeなどで手軽に配信・視聴ができるようになり、熱心な怪談ファンだけでなく、ライトユーザーと呼べるような人も増えたんだと思います。令和になってから、ほかの業界の方から「今、怪談ブームだよね?」と言われるようにもなりました。 虚と実のあわい……「実話怪談」の不思議な魅力 ──吉田さんの考える「実話怪談」の特徴や魅力などについて聞かせてください。 吉田 ジャンルとしては、実際に不思議な体験をした人がいて、その体験者への取材をもとにしたレポートであるというのが実話怪談です。怪談はそもそも、信ぴょう性やリアリティのグラデーションはあるにせよ、「本当にあった怖い話」のはずですよね。実話怪談はそれをより明確にし、少なくとも体験者は本当にいる、自分で取材したのでその点は担保します、というルールを徹底しています。 私は実話怪談を、書き手や語り手とその受け手が一緒に育てていった、ひとつの文化運動として捉えています。自分が2005年に出会ったときも、「これは新しい、来るな」と文化的な広がりを感じて、「一生やる仕事だな」と確信しました。自分がもっと深掘りし、広げていくべきだと。 ──その新しさとは、どのようなところにあったのでしょうか。 吉田 実話怪談は人の体験談なので、小説のように作家がゼロから創造した作品ではありません。また、リアルなレポートではありますが、ドキュメンタリーやルポルタージュともちょっと違う。不思議な体験を扱うので、体験者はウソをついていなくても、結局、それが証明・検証できる事実かどうかはわからない。本当か事実かということを、きっぱり分けられない。そういった虚実のあわいが、魅力的で新しいと感じました。 私たち怪談好きは、不思議な現象を「本当にあるんだよ!科学的に証明できるんだよ!」と主張しているわけではないんです。証明できるとは思っていませんし、証明できちゃったら怪談じゃないと思っています。でも、不思議な体験をした人がいるのは事実で。私だけでも何千人と取材していますが、みんながウソをついているとは考えにくい。だったら、不思議な体験があるということを楽しみましょうと。肯定と否定の二元論ではなく、その先のステージで考えています。 ──受け手の人たちも、吉田さんのように「ウソかホントか」を超えて不思議な現象を楽しんでいるんでしょうね。 吉田 そうですね。社会におけるリテラシーが変わったというか、「どうせウソでしょ?」と、怪談は科学的思考ができない人が楽しむものだと切って捨てられるようなことが、だんだんなくなってきたと思います。 実話怪談を楽しんでいる人たちは、日常とは異なる世界、異界のようなものがあるかもしれないことに、恐怖やワクワクを感じている。それって、ある種の救いになったりもするじゃないですか。 ──自分が知っている世界がすべてではない、という感覚が楽しみや救いにつながるのはわかる気がします。宇宙探査なんかもかつてはそういった魅力があったんでしょうね。 吉田 つまり「秘境」ですよね。ネット社会になって情報がグローバルに共有され、Googleマップが登場したことで、地理的な意味での秘境はなくなりました。日本でも、90年代までは山奥に誰も知らない村落があるんじゃないかという噂があったりしたんですよ。でも、実話怪談では誰かの身近な体験として不思議なことがある。今はそういう話が求められていると思います。 「俺がなんとかしなきゃ」怪談シーンは終わらせない ──吉田さんは体験者に取材するだけでなく、現地を取材したり文献にあたったりと、怪談を研究するような活動もされていますが、活動としての違いはあるのでしょうか。 吉田 体験者に聞いた話を語ったり文章にしたりする表現的な活動も、現場や文献にあたる批評的な活動も、根本的には同じものだと思っています。実話怪談はそのすべてを組み込める、広がりのあるジャンルなので。誰かの体験談を語り、作品にするのもある種の批評行為なんですよね。人から聞いた体験談をこちらで再構成し、編集して世に出すわけですから。 また、怪談イベントでは、誰かの話にほかの演者が「その話って、こういうことなんじゃない?」と感想を言い合うことがよくあるんですけど、その解釈、つまり批評自体が怖かったりもする。怪談というジャンルはクリエイション(作品)とクリティーク(批評)の境がないんですよね。だから、新しいんだと思いますし、21世紀になって流行っているんでしょうね。 ──では、今後の怪談シーンはどうなっていくのか、またご自身はどう活動されていくのか、お考えを聞かせてください。 吉田 「業界がどうなるか」と受動的に眺めるのではなくて、「俺がなんとかしなきゃ」とは思っていますね。せめて私が老後を迎えるまでは、怪談業界を存続させたいので(笑)。若手も食っていけるようにするために、業界の整備、マネタイズできるような仕組み作り、後進の育成などに意識的に取り組んでいます。まだまだ怪談業界を盛り上げていきたいですね。 仕事の中の「快楽」を見つけてサボる ──吉田さんの「サボり」についても伺いたいのですが、お仕事中についサボってしまうことはありますか? 吉田 自分の中では、ほぼサボってるなという感覚です。ちゃんと仕事をしているのは1日2時間くらいかもしれない。「もういいや、本でも読んでよう」って寝転んでサボっているつもりでも、読んでいるのは資料なのであいまいなんですけど。でも、調査も、文献にあたることも仕事としてカウントしていないんです。 すごい極論ですけど、全知全能の人なら何も調べなくても完全なる正解を書けるわけですよね。調べないで書けたほうが偉いんだけど、調べないと書けないから仕方なく調べていると自覚すべきであって、こちらから自慢してはダメというか。資料を求めて国会図書館に通ったりもしますが、手足を動かして、ひたすら調べればいいわけで。たとえば毎日20kmを血ヘド吐きながら走っているというのとは違う。他人に指摘されるならともかく、自分から「努力してる」「これだけ取材してます」とは言わないほうがいいなと思っています。あくまで好みの問題ですが。 ──他人から見たら煩わしいことが苦にならないという意味では、調査などは向いていることなんでしょうね。 吉田 性には合っているんでしょうね。資料にあたるのが一番の息抜きだったりもしますし、単純に楽しいので。半信半疑で調べていたネタの気になる点を調べていくうち、その元となる情報が本当にあったんだと発見できたときは、めちゃくちゃテンションが上がりますよ。そういった意味でも、苦行に励む努力の類いではない。自分にとって、やっぱり努力ではなく快楽なんですよね。 logirlで配信中の3番組による『logirlスーパーオンラインライブ』が3月20日(日)に開催! 吉田さんもcaicatariスペシャル『三種の恐気(おそれげ)な夜』に登場します ──では、怪談とは関係なく妙に好きなこと、ハマっていることなどはありますか? 吉田 歩くことですね。都内をあちこち歩いているうちに、結局、怪談につながってしまうことも多いんですけど。怪談がささやかれる場所は、たいていアップダウンのダウンに当たる地形で、かつて川だったのが暗渠(あんきょ)になっていたり埋め立てられていたりするような元水場、そういう場所ばっかりなんです。 でも、怪談に出会う前からめちゃくちゃ歩いてましたね。バイト中に電車賃を浮かせるために歩いたりもしていましたが、それも好きだから歩いていただけで。今でもよく歩いています。こんなご時世になる前は、よく缶チューハイを片手にラジオを聴きながら歩いていました。 ──だいぶエンジョイしてますね(笑)。 吉田 いかがなものかとは思いますが……(笑)。私、お酒は好きなんですけど、お店にはあまり行かないんですよ。ひとりでは行かないし、人を誘って行くこともない。仕事のあとの打ち上げは大好きなんですけどね。だから、わざわざ外に出て歩いて飲んでいたんです。 ──何か目的やゴールを決めることもないんですか? 吉田 そうですね。メンチカツのおいしい店を調査しているので、気になる店の近くを通ったら買ったりしますけど、基本的に何も決めていません。なんなんでしょうね、本当に単純に歩くのが好きなんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
れらぴ「何でもも形から入ってしまう癖がある、例えば勉強するとなるとペンやノートを買うけど、結局やらなかったりする」 しおんぬ「雑なところ。お母さんに怒られる一日一回は物を落とす。距離感がバグってる」 as1422 ANGERME…
ちょっとやそっとではリムらないと言ってたみょうがさんがいつの間にかリムってるとなると、俺も愈々本当にまーれリスナーじゃなくなったっぽいな。 感想書かないだけで全く知らないって事も無いし、ライブ系も観てるし、何気にグッズもまだ買ってるんだがな。ネルのアクスタやマットが届いたばかり
いやくそおもしれー展開になったな… これ呪術は古くからの伝統がうんたら言う保守派は大っ嫌いになるわなww あとは秤パイセンが「当たり」を引いたら勝ち確だし「ハズレ」引いたらさっきみたいに腕吹き飛ばされるんだろうな… ここが勝負どころだぞ秤パイセン
ピスタチオ最後の舞台は、5月31日(火)の18時から渋谷ヨシモト∞ホールでの「ワラムゲ!」になると思います!! ラストライブ!あの頃沢山居たピスタチアン集ま〜れっ🙄 5月のまでピスタチオ
やっぱり沼るよねあんなのはもう…🥹 お互い空気みたいな存在になってる離婚危機が好きです…🤝 お味噌もいいよねリノさんでれっでれになるとこかわいすぎる( ◜ᴗ◝)
…残念、其れは残像ですよ(消える寸前に翼が破裂したようになるとそこに風穴が複数箇所開いていて蜂の巣にし← では、さようなら(くすっ
つけ麺陽(堀切菖蒲園)へ主人と。 まぜそば+辛っれ〜の×1(主人)担担つけ麺+辛っれ〜の×1(私)を頂きました。 此方の浸け汁は濃厚で粘度も高いが飽きが来ない。麺への絡みが非常に良く最後迄一気に食べ進められる。浸け汁に沈む煮豚の柔らかさも嬉…
金属バット 今日は本当に疲れてる。 理由としては、昨日の金 属バット購入手続きが挙 げられる。 本当は遠くの有名老舗で なくとも、地元にあるス ポーツ店で買うつもりだ った。 だが止めた。 トラブルになる怖れがあ ったからだ。 再三書いたが、私は野球 をやらない。 むしろ嫌いだ。 続く。
ハイエンドボスは勝っても負けても戦闘後にPTの戦績(値ダメージ数、4んだ回数、被弾回数など)出るようにしたらいいね! 誰が戦犯なのか明確になるから偉そうにイキれなくなっちゃうしね 大概のバトルイキリ勢はプライドだけやたら高い下手っぴなイメージ
みんなからの匿名質問を募集中! こんな質問に答えてるよ ● Twitterブロックされる理… ● もっとうまくなるからいつか一緒… ● 方向音痴って浮気しやすいみたい… ● けっくすはなんでれっくすうき? 質問箱 匿名質問募集中
れったん、役はマネージャーだけど イメージは軍師っぽいかなあ なんか作戦あるわけじゃないけど それはそれとして ふと自然に髪をかき上げる仕草 見られると嬉しくなる バトルガールズ
つけ麺陽(堀切菖蒲園)へ主人と。 まぜそば+辛っれ〜の×1(主人)担担つけ麺+辛っれ〜の×1(私)を頂きました。 此方の浸け汁は濃厚で粘度も高いが飽きが来ない。麺への絡みが非常に良く最後迄一気に食べ進められる。浸け汁に沈む煮豚の柔らかさも嬉しい。辛みも穏やかな美味なる逸品😋 御馳走様でした😊
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