【本日発売】顔強のあーりんさんが、夢見るクリスマスジュエリー&ギフトを紹介!
本日11/12(火)発売の『美人百花 12月号』に、あーりんが登場しています!今回はクリスマスジュエリー企画に登場しています!たくさんかわいい あーりんが見れるようですので、チェックを♪(^^)11/12発売『美人百花 12月号』【楽天】『美人百花 2024年 12月号 [雑誌]』【Amazon】『美人百花 12 月号』
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本日発売 顔強のあーりんさんが 夢見るクリスマスジュエリーギフトを紹介
高度経済成長のさなかの、今ほど皆が裕福でなかった昭和40年代。そんな中、豊かな生活を求めて独立を夢見る… 若かりし頃の久保さんも、もちろんそんな思いを持っていた一人の若者であったことでしょう。久保さんの話ぶりだけでも、当時の日本の、まだ活気のあった時代の情景が浮かんでくるような感じでした。そして「皆のおかげ」と事あるごとにお話しされていた感謝の気持ち、謙虚な心こそが、栄枯盛衰の激しい世界で、「金閣園」さんが今の今まで至っているという所以なのだと感じました。
―純さん、朱華さん、本日はありがとうございました。
―池上さんの特製カレーと歌声、楽しみにしています笑。本日はありがとうございました。
〇告知本日、7月26日に拙作『バーニング・ダンサー』(KADOKAWA)が刊行されました。警察ミステリー×どんでん返しという惹句とタイトルからご想像いただける通り、ジェフリー・ディーヴァーっぽい作品をやりたくて書いたものです(読書日記の第44回と併読してもらうとちょっと面白いかも)。あとは、超能力者たち(作中では「コトダマ遣い」と呼んでいます)の戦いを書いたので、ドラマ「SPEC 〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜」へのオマージュも入っています。まあ、阿津川がやりたい放題やらせてもらった作品、という感じです。手掛かりと解決は、一応今まで通りのクオリティーを目指しているのですが、どうでしょうか。〇鮎川哲也のレアコレクション!光文社文庫から鮎川哲也『夜の挽歌 鮎川哲也短編クロニクル1969~1976』が刊行されました。光文社文庫への未収録短編を集めたもので、私も初めて読むものがたくさんあり、かなり楽しめました。光文社文庫から先んじて『黒い蹉跌』『白い陥穽』という倒叙ミステリー短編集が二冊刊行されており、その雰囲気を感じさせる倒叙ミステリーが大半で、他に、アリバイ物や密室物のレアなものが入っています。まずは倒叙ミステリーの話をすると、鮎川哲也の倒叙ミステリーは、ずっと犯人の視点から記述され、最後に数ページ、刑事が登場して、決め手を突き付けるという構成になっているものが多いのですが、この構成に説得力をもたらしている刑事たちの堅実な仕事ぶりが面白いと思います。鮎川哲也が描く刑事は本格ミステリー界でも屈指の有能さで、そうした刑事だからこそ、たった一つの決め手の提示が鮮やかに映える。徹底的にそぎ落とした構図が効いているのです。このタイプの作品だと、『夜の挽歌』の中では「水のなかの目」と「冷雨」、「尾のないねずみ」が好きでした。しかも、「尾のないねずみ」は私が大好きな「ガスミステリー」(ガスを扱ったミステリーで、F・W・クロフツ『二つの密室』や日影丈吉『女の家』などいぶし銀の傑作が多い。ガスミステリーという言葉は多分ないと思いますが……)。密室ものである「地階ボイラー室」は推理の根拠が面白い作品で、最も感心したのは「ドン・ホァンの死」。犯人を指摘する決め手が、少し捻じれているのが好みです。ストレートにいかずに、誰が何を知っていたかを立体的に組み上げていくと、構図が見えるというのが良い。こうして集められたレアな短編十五編でこれだけ楽しめるのですから、いい加減、角川文庫の『鮎川哲也名作選』を集めて、一から読んでいくべきですね。『裸で転がる』しか読んでいない。あれは表題作が傑作。〇坂口安吾と「探偵」ここからは、だらだらと、坂口安吾の話をしてみます。5・6月に中公文庫から二冊の新刊『安吾探偵事件帖 ――事件と探偵小説』と『不連続殺人事件 ――附・安吾探偵とそのライヴァルたち』が刊行されたからです。そこに描かれたいくつかの「探偵」という像を拾いながら、結局、この二冊が面白い、ということを語るだけの回ですが、結論を先取りするなら、それは坂口安吾を通じて松本清張の響きを聞く試みでもあります。ひとまずは『安吾探偵事件帖』の話から始めましょう。安吾のエッセイの中から、戦後の難事件について語ったものや、裁判の傍聴記などを収集した第一部(「Ⅰ 事件と裁判」)と、推理小説について論じたものを収集した第二部(「Ⅱ 推理小説論」)からなる本で、帯に「戦後の難事件を推理し、探偵小説を論ず/安吾探偵登場!」と謳われている通りの構成。まずはこれが面白かった。ここから安吾のエッセイにハマりました。「Ⅰ 事件と裁判」編は、難事件への推理、といいつつ、鋭い推理で犯人像に迫っていくというよりは、同時代的な事件について、ああでもない、こうでもないと安吾独自の視点で思索を巡らせるという内容です。「帝銀事件を論ず」では、「帝銀事件」そのものよりも戦争の影について話し、「孤独と好色」は「下山事件」について下山総裁自殺説を採った場合のスケッチという具合で、むしろ推理そのものより、最後の引用が効いている。「下山事件推理漫歩」は、江戸川乱歩・中舘久平との座談であり、基本的な事実は一緒に検討しているものの、むしろ、最後には他のエッセイと同じように新聞・マスコミへの批判へ流れていきます。「孤立殺人事件」は、「孤独と好色」とも響き合う内容で、一つの死を論証することでその孤立の構造を暴いていく内容でこちらも素晴らしいですし、事件の図面なども挿入されているのがますます探偵小説風。白眉は「フシギな女」という題名の、八宝亭事件に関するエッセイです。八宝亭事件というのは、このエッセイを読むまで知らなかったのですが、築地の中華料亭において四人が殺害された事件のようです。安吾はまず、1951年4月号の「新潮」に、この「八宝亭事件」に関して述べた「フシギな女」と題するエッセイを載せているのですが、すごいのはその続き。1951年5月号の「新潮」に掲載されたもので、これは先月号の原稿の内容について、東京新聞の小原壮助が寄せた批評に反論する内容なのです。「フシギな女」という題名に込められた皮肉と配慮について述べたうえで、いかに相手が自分の文章を読めていないかを滔々と論駁する安吾の筆の冴えに、何か黒い笑いが込み上げてくるシロモノです。現実の八宝亭事件に対する謎解きであるのはもちろん、先月号の安吾の原稿の意図に関する「謎解き」でもあるという構造がスリリング(5月号の原稿の口調が強気なのは、3月10日に共犯者の女性が逮捕され、その証言により、3月11日に主犯が捕まっていることを受けてのことなのかもしれません)。「Ⅱ 推理小説論」に収められた文章は、安吾の推理小説観が伝わってくるもので(人工性への拒否感や手掛かりに関する考え方など)、いかにして『不連続殺人事件』や『安吾捕物帖』が生まれ得たかが分かってくる内容。特に、「推理小説論」が読めたのは嬉しかった。これは実は、2018年に新潮文庫から復刊された『不連続殺人事件』に収録された戸川安宣・北村薫の対談「安吾の挑戦」を読んだ時から気になっていたのです。ちょっと引用すると、〝北村 (中略)話を安吾の推理小説観に戻しますと、安吾の考えが分かりやすく書かれている「推理小説論」という文章があります。私は高校生の時に鈴木幸夫編『殺人芸術』に収められていたのを読んだのですが、この中で安吾は横溝の「蝶々殺人事件」が傑作だと書いています。なるほど「蝶々」はそんなにすごいのかと呼んでいくと、あろうことか、「一つ難を云えば、犯人の〇〇が……」と書いてあるんです。戸川 犯人を書いちゃった(笑)。北村 愕然としました。「おい、待ってくれよ」と。「本陣」よりも傑作だという犯人の名前を書いてしまっている。これは自分の記憶を改変しなければならないと思って、買ってあった「蝶々」に、登場人物表から適当な名前を見つけて、「犯人は誰々」と別の名前を書いておいたんです。さらに数年経って、記憶が薄らいだころに読んでみたら、なんと安吾が書いていたのと犯人が違うんですよ。戸川 安吾はどうしてしまったんでしょうか(笑)。意図的にそうしたんですかね?北村 いや、多分、思い込みで書いてしまったんでしょう。ぞろっぺえな安吾らしい。〟(『不連続殺人事件』〈新潮文庫〉、p.407~408)この対談では、むしろ、安吾のクリスティーに対する敬愛を引いてくるところ(この後の箇所)が面白いのですが、北村薫が話した「蝶々犯人取り違え事件」の衝撃が面白すぎて、やけに記憶に残っていました。その認識で「推理小説論」を読んでみると、確かに間違えている(笑)。トリックに対する評価とまとめは合っているのに、犯人だけが違う。このそそっかしさがどこか面白い。「推理小説論」の初出は1950年4月の「新潮」で、『蝶々殺人事件』についての分析は、1947年の「東京新聞」が初出の「推理小説について」の方が詳しい。トリックの難を三つに分けて具体的に記述したうえで、それでも、傑作だと述べるところが潔いのです(ちなみに、こちらでは犯人がバラされていません)。上の引用部でも「「本陣」よりも傑作」という表現がありますが、謎のために人間性を歪めるのが嫌いな安吾は、『蝶々』でも三つ気になったんだから、『本陣』はもっと気になったんだろうなと思わされてしまいます。〇『不連続殺人事件』とその周辺についてさて、そんな安吾の実作について触れつつ、その周辺で書かれた文章を多角的に集めたのが中公文庫の『不連続殺人事件 附・安吾探偵とそのライヴァルたち』です。まずは『不連続殺人事件』の思い出話をしておけば、私が初めてこの作品を読んだのは中学生の時。角川文庫でした。初読時には、とにかく多すぎる登場人物と殺人事件の量に面食らい、読み進めるのに難儀したのですが、結末に至って狙いが分かり、「名作」であることは理解したという感想でした。とはいえ、そこに興奮が伴っていたかというとそうではなく、疲れの方が勝ったという印象ではありました。よく言われる、『不連続』に似たクリスティーのある作品を読む前でもあったので、衝撃もひとしおではありましたが。いわば、これが「懸賞付き犯人当て」だったという触れ込みで読み始めたのに、えー、そういう方向性の解答なの、という素朴な感情が基にあったという感じです。大学生の時に二回目(先ほど引用した新潮文庫の新版)、今回で三回目(中公文庫)。回を追うごとに、その精緻さへの評価が高まる感じがしています。二回目の時に、「犯人当て」として解が無限に広がりそうなところを、「心理の足跡」という楔を打っているのが巧いのだと気付かされ、伏線なども丹念に拾う作業が出来、それが楽しかった。また、新潮文庫版は、「読者への挑戦」となっている連載時の「附記」をすべて収めており、それによって、当時の素人探偵たちの雰囲気と安吾の挑発っぷりを味わえて、当時の雰囲気を嗅ぎ取れた気がしたのです(併録の戸川・北村の対談によると、これらの「附記」を収録したのは創元推理文庫版の『日本探偵小説全集』の功績が大きいよう。中公文庫にも「附記」はしっかり収録されています)。でもやはり、今回が一番面白く読めた。それはひとえに、附録の面白さだと思います。坂口安吾が平野謙・大井広介(廣介)・荒正人らと、読んでいる本を千切って回し読みし、解決編にあたる部分を読まずに全員で解答を出し合い、推理比べをするという「犯人当てゲーム」とでもいうべき遊びをしていたのは、安吾が「真珠」でも書いている通りなので有名な話ですが(どこで初めて触れたかは思い出せません。何かのエッセイか?)、そのゲームの内容と勝敗の記録について、「それぞれの言い分」を聞くことが出来るのがこの附録です。客観的な記録は戦争で燃えたらしいので、もうそれぞれの言い分の食い違いを楽しむしかないところですが、安吾以外の証言を拾っていくと、とにかく、安吾の推理が当たらなかったというところは大筋で正しそうな気がしてきます。一人だけ十五枚、二十枚も解答を書いて、短編小説ぐらいになっていた、というのも、いかにも安吾らしい。探偵行為そのものに没入し、熱をあげていく姿は、現実の世相・事件を巷談として語り倒していく巷談師の姿とも重なるように思えます。他にも、江戸川乱歩による『不連続殺人事件』の感想や、荒正人・江戸川乱歩・大井広介による「座談会・評論家の目」、埴谷雄高、佐々木甚一のエッセイも収録されています。埴谷と大井が『不連続殺人事件』の安吾に提出しにいく場面の描写などは、実に克明です。安吾がたった一つの質問をして、それへの反応が埴谷・大井の間で違う、というあたりのカット割りが巧い。ここで当たっていたのは大井なのですが、大井の推理は「メタ読み」、それも友人で手癖や好みを知っているがゆえの「作者読み」にすぎなくて、だからこそ、懸賞では四等の五十点に留まっているのでしょう(完全正答は九十五点)。メタ読みにも面白いのと面白くないのがあって、鮎川哲也の「薔薇荘殺人事件」に対する花森安治の解答なんかは、面白い例。作中のデータからの「メタ読み」であると同時に、推理小説を書く立場からはしっかり耳が痛いので、これは面白いと思うんですが、大井のは、こんな当て方されたらかわいそうだろと思ってしまう(笑)。それにしても、不思議なのは江戸川乱歩の文章です。『不連続殺人事件』について、クリスティーの作品を挙げるのはいいとして、「この小説の犯行動機と犯人についての着想は私のベスト・テンの高位にある作と酷似している」と言っているのは、どれのことを言っているんだろう。恐らく、海外作品のベスト・テンを挙げたのに関連していると思いますが、どれのつもりなんだろう。この評では「トリック」という言葉が広い意味に使われすぎていて、「作者が読者に仕掛ける」という一点のみで『不連続』の作中の雰囲気に関する工夫と、『アクロイド』の手法を同列に扱っているので、それほど真面目に考えてもいけないような気がするんだけど(ちなみに、傍証ではありますが、大井廣介の『紙上殺人現場 ――からくちミステリ年評』においては、陳舜臣『白い泥』に言及しながら坂口安吾『不連続殺人事件』に言及するくだりがあり、そこでは、まさに乱歩のベスト・テン作品から一作品の名前が挙がっています。この頃、その作品の「価値」ってそこだと思われていたんだと思うと、興味深い)。しかし、この附録に関しての熱の入れようはすごい。巻末の「関連年表」でようやく油断していると、『復員殺人事件』の「附記」が収録されたりしています(p.440)。珍しい。『不連続殺人事件』本文に描かれた「推理小説の世界」と、推理小説に耽溺し、探偵行為そのものに熱中していく「現実の安吾の世界」が響き合う、非常にユニークな構成になっていると思います。〇ここで松本清張の話題へさて、ここでいったん、松本清張の話題へ脱線。「帝銀事件」や「下山事件」というと、松本清張自身も『小説帝銀事件』や『日本の黒い霧』で扱った題材になります。で、あるがゆえに、安吾の『安吾探偵探偵帖』を読む時、私は常に松本清張のことを考えていました。しかし、実際の事件に対するそれぞれのスタイルはまったく異なる。それぞれが生きた時代の違いでもあるのかもしれませんが、スタンスの差が大きいのだと思います。安吾は巷談師であり、むしろ「探偵」行為そのものに耽溺し、いかに語るか、ということに関心があるように思えますが、清張のそれは「推理」として書かれることに意味がある。安吾の語りから覗くのは、彼の生きた「今」の姿と、そこに生きる人々の姿ですが、清張は推理によって自らの史観を紡ぐ。ヒントになるのは保阪正康『松本清張の昭和史』(中央公論新社)です。二〇〇六年に平凡社から刊行された同題の本を一部修正し、『松本清張研究』に掲載された二つの座談会を収録した本になっています。『松本清張の昭和史』においては、『昭和史発掘』と『日本の黒い霧』をメインテキストとし、松本清張の史観、その核心を暴いていきます。謀略・陰謀史観について正面から書いているのはもちろん、大岡昇平や佐藤一の清張批判なども丁寧に拾い上げ、その実像に迫っていく足取りの確かさが魅力です(帝銀事件について清張が書いた文章を引用し、当時の清張の「恐怖心」を分析するところはユニークで、しかし、異様な説得力がある)。特にしっくりきたのは、「白鳥事件」に対する推理が説得力に欠けていることを指摘した場面でした。〝この結論は確かに興味のある見方だ。なるほどという感がする。しかし、もうひとつ説得力をもたないのはなぜか。松本の着想や推理には抜きんでたものがあるが、それにしても説得力をもつ史実が浮かびあがってこないことである。この点に私は戸惑いを覚えるが、このような着想や推理だけで事件を見ていくことに読者としてもいささか疲労を感じるのではないだろうか。『日本の黒い霧』にはそういう疲労を生む作品も含まれている。そうした作品には、謀略史観に近づく寸前で筆を止めて、それ以上は踏み込むまいとする必死の自制も感じられる。〟(『松本清張の昭和史』〈中央公論新社〉、p.179)証拠をきちんと列挙して推理や着想を導いていくにもかかわらず、それが一つの「史観」のもとに吸い取られていくことへの快感と違和感。『日本の黒い霧』に感じたスリルの正体は、これなのかもしれないと思わされました。翻って安吾の話をするなら、だからこそ、『安吾探偵事件帖』の「軽やかさ」に自分は惹かれたのだと思います。安吾にも当然主義主張があって、そのどぎつさもあるとはいえ、語り口そのものは軽妙であり、その「語り」によって自分たちの「今」の姿を描いていく。語りそのものに、あるいは探偵行為そのものに熱中する文章に、『三幕の悲劇』を千切って回し読みし、黙々と答案をしたためる安吾の姿を見ることが出来るような気がします。だから私は安吾のエッセイを好きになったのかもしれません。『松本清張の昭和史』の中には、『日本の黒い霧』を肯定的に評価した評者の名前として荒正人の名が挙がり、『閉じた海 社会派推理レアコレクション』(中央公論新社)に収録された「私小説と本格小説――対談・平野謙」では、松本清張と平野謙が対峙し、『日本の黒い霧』についても語る(清張が『点と線』以前の批評家たちの反応に対し、平野の前で恨み言を述べる場面もあり、どこかスリリングな対談にもなっています――ヒリヒリする、という意味で)。そういったメタ的な事情でも、「安吾探偵とそのライヴァルたち」と響き合っています。一方で、中公文庫『不連続殺人事件』の荒正人・大井広介・江戸川乱歩座談会では、清張作品について、乱歩は肯定的に、大井は否定的に受け止める場面があります(1957年11月の「宝石」に収録されているもので、『点と線』は連載中。刊行されるのは、その翌年のこと。なお、大井の清張評については、1960年から66年の「時評」である『紙上殺人現場』でその評価の変遷を丁寧に追えるので、併読すると楽しい)。複数のテキストが網の目のようにつながって、当時の人々の反応や関係が見えてくる、そういう体験を中央公論新社から復刊・再刊されている作品群が与えてくれています。坂口安吾のエッセイが読みたくなって、『安吾巷談』を買ってみました。文庫でも良かったのですが、2018年に刊行された三田産業版にしました。これも痛快な語り口に魅せられる本ですが、冒頭から「麻薬・自殺・宗教」という文章に接して面食らわされますし、延々と競輪の話をしている「今日われ競輪す」には笑わされます。しかし、「ストリップ罵倒」のようなどギツい風俗話を読むと、どこか都筑道夫『二十世紀のツヅキです』(フリースタイル)のキツさを思い出すというか。ところで、都筑道夫はモダーン・ディテクティブ・ストーリーとして『不連続殺人事件』を高く買っていて、解説も書いており……ありゃ、このままじゃ話題がループしてしまう。『安吾巷談』を買ったら、友人から「『安吾新日本地理』も面白いよ」と耳打ちされたので、さっそく購入してこちらも読んでみました。うん、さすがにこれも面白い。日本全国の土地について、ああでもない、こうでもないと語る「巷談」の一種で、大阪や仙台の住人は真面目に受け取ったら怒るのではないかという表現がざっくばらんに登場しているのに笑わされます。「探偵」行為の一種としてとらえるなら、古代史を読み解く「飛鳥の幻」「飛騨・高山の抹殺」は必読級に面白い。「安吾歴史三部作」の一つらしいので、残りの二作、『安吾新日本風土記』『安吾史譚』も楽しみに読もうと思います。まずは、探すところから。しかし、古代史に関して造詣が深く、それに対する推理の提示が面白いという点も、松本清張に通ずるところが――うわ、参った。これじゃ今回の原稿終わらない。こんなところでやめにしましょう。
―輝生さん、政恵さん、お母さん、本日はありがとうございました。
―皆さん、本日はありがとうございました。
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