こうも5期生に外仕事が少ないとラヴィットシーズンレギュラー枠の喪失はかなりの痛手だったと気付かされるよな?そしてバラエティスキルのある人材不足という問題も顕現したな

乃木坂46

こうも5期生に外仕事が少ないとラヴィットシーズンレギュラー枠の喪失はかなりの痛手だったと気付かされるよな?そしてバラエティスキルのある人材不足という問題も顕現したな

1: 君の名は 2024/10/25(金) 12:24:11.25 ID:a4PMT
菅原はラヴィットシーズンレギュラーのバトンを同期に渡せなかったけど 果たして菅原だけが悪いと言えるのか? 確かに番組で活躍できずバトンを落としたようにも思えるが、 渡す相手がいなかったとも考えられるのでは? ラヴィットシーズンレギュラーを務めるに足るバラエティスキルのある5期メンバーなんてもういないでしょ?

2: 君の名は 2024/10/25(金) 12:25:38.27 ID:LHvcG
井上池田五百城なら活躍できる!!!

3: 君の名は 2024/10/25(金) 12:26:04.83 ID:3qayx
菅ちゃんの責任だよ

6: 君の名は 2024/10/25(金) 12:27:26.38 ID:3TILi
5期にラヴィットは無理 3,4期メンに戻すべきだった でも菅原がバトンを紛失したから手遅れ

12: 君の名は 2024/10/25(金) 12:30:53.96 ID:3npAv
菅原も悪いけど5期生全員悪いよ 菅原より喋れるメンバーいないし

16: 君の名は 2024/10/25(金) 12:32:01.42 ID:KJc0S
村番組を何年もやってるのにいまだにバナナマンと 会話のキャッチボールができないからな

39: 君の名は 2024/10/25(金) 12:40:29.98 ID:HsCv8
井上や五百城が一皮剥けるチャンスだったのになー 岩本とかりりあとか与田が出ても良かった 枠なくなるってどういうことよ

49: 君の名は 2024/10/25(金) 12:43:59.98 ID:F2bIT
菅原はタイムマシーンとロケに行ってる ラヴィットなら菅原に責任はないと言える 乃木坂の人材不足 5期の能力不足

51: 君の名は 2024/10/25(金) 12:44:21.64 ID:2qqvr
もともとどうでもいい番組だろw

56: 君の名は 2024/10/25(金) 12:45:42.96 ID:FVoVD
置き物でいいんだから井上でも岡本でも誰でもヨカ

78: 君の名は 2024/10/25(金) 12:51:23.55 ID:7Iw9x
外だと割と話せるのが五百城池田なのが面白い

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乃木坂46 岩本蓮加1st写真集 いたずらな風
竹書房
2024-11-19

・川﨑桜さくたんがEX大衆表紙で水着 ・日向坂46、またしても盛大にハブられるwwwwwwwwww・池田テレサさん、終わる。林瑠奈が圧倒的ビジュで追走へ・【画像】小川彩のBカップ、主張を始めるwwwwwwww・【速報】1位:井上和(1.68)2位:与田祐希(1.53)3位:賀喜遥香(1.47)

引用元URL:https://talk.jp/boards/nogizaka/1729826651

こうも5期生に外仕事が少ないとラィットシーズンレギュラー枠の喪失はかなりの痛手だったと気付かされるよなそしてバラエティスキルのある人材不足という問題も顕現したな

10月初日記です 何を書こうか迷ったのですが この舞台に入って一番嬉しかったことを書きたいとおもいます。

こうしてあっけなく決意は砕け散りましたとさ。 おしまい!

お盆明け、初観劇です。 本番舞台の仕込み日にスポットをあてたシチュエーションコメディ・・・よくある楽屋ネタ的展開と思いきやさにあらず、よく練られた構成と演出、安定感のある役者の面々、思わず引き込まれてしまいました。そして、小劇場で演劇をしてきた者が必ずぶち当たる命題「お客様の為に完全な舞台を作る」・・・しかし気がつくと直ぐそこに近付いている本番、とにかくやらねばと納得いかないまま初日を迎える・・・こんな思いを一度は経験しているはず。そんなテーマに真っ向から立ち向かった舞台が、円盤ライダープロデュース「仕込んでいこう!」です。知人のシアトル劇団子の山崎君と佐藤君が客演してるので観に行ったんですが、おすすめです。8/26(日)まで、池袋シアターグリーンでやってますので観にいかれてはいかがでしょうか・・・そして2人も応援してあげて下さいネ!!! 僕らも、お客様の為に頑張らねば・・・必ずやります、皆様お楽しみに!!!

…明日も行こうかな。

3回目かな。100分くらい。 私にとってはかなり好きな作品なんですが、一般的には酷評されているようですね。ちょっと悲しい…。擁護派の立場から、「ポニョ」のストーリーをまとめていきたいと思います。 想定外に長くなってしまったので、お暇なときにでもどうぞ。なんで分かりづらい?:{netabare} 「ポニョ」は子供向けというイメージが先行しすぎて、「トトロ」と同じカテゴリーに置いている人も多いと思うんですが、それはあくまでも視聴年齢という枠組みにおいてだけ成立するものだと思います。 「ポニョ」は、表向きは「魚が人間になる話」なんですけど、後半のほとんどの時間は「魔法による世界の変革」に費やされていますよね。つまり、世界の変革に触れる作品、というのが本質なんだと思います。この視点で見ると、「トトロ」よりも「ナウシカ」や「もののけ姫」の系譜に連なるものだと思います(詳細は後述)。 子供は表向きの話を見ていればいいのですが、それ以外の人は当然世界に何が起こっているのかを探ります。ですが、ここの分かりづらさに「ポニョ」が酷評される原因の一端があるように思えます。具体的には、世界の変革に対する主人公たちの振る舞いです。 ナウシカやアシタカは、その世界の変革に際して、自身の立ち位置を明確にしていますよね。ナウシカは命を賛美し、アシタカは曇りなき眼を標榜します。これが世界の変革と呼応して物語が展開していきます。つまり、主人公たちの行動と世界の動きが連動するので、話が分かりやすい。 ですが、ポニョやソウスケは、ナウシカやアシタカと異なり、その変革に対するスタンスを明らかにしません。二人の目的は、「会いたい」「守りたい」と局所的なのです。ポニョの無自覚な魔法により世界が混乱しているにも係らず、彼らは傍観者にすらならないんです。世界の変革に多くの時間を割きながら、主人公たちを見ていても、変革の方向性は一向に分からない。 「ポニョ」において、その行く末を思案しているのは大人たちです。フジモトやグランマンマーレやリサですね。ですが、彼らの不安や確信は、その中身までは明らかにされません。つまり、大人たちを追っても世界の行く末を察することは出来ないんです。挙句に、その行く末をポニョやソウスケに託してしまうから、ますます分からなくなってしまう。 結局のところ、登場人物たちは何も語ってはくれないんです。セリフに映像を併せて考えるしか解決策がない。セリフに気を取られて映像解釈をおろそかにすると、「ポニョ」の話は分からん、となってしまうんだと思います。 ちなみに、世界の変革に対して主人公のスタンスが明らかにされない作品が、「ポニョ」以外にもう一つあります。それは「ポニョ」の次作である「風立ちぬ」。戦争という変革に際して、二郎は世界がどうなるかなんて気にもしません。ただただ美しいものを愛でていたいだけ。世界の行く末を思案する大人たちの存在すら希薄になっています。 「風立ちぬ」は、世界の変革よりも人物描写が主題になっているんですが、人物描写自体が映像描写の中に隠れてしまいます。「ポニョ」と同じくセリフばかりを追っていると、分からん、となってしまう作品でした。 ちなみに、映像的な描写自体は過去作からずっとあったものです。ただ、主人公と連動しないために、見過ごすと分からないレベルになってしまったのが、この「ポニョ」と「風立ちぬ」なんだと思います。どちらも分かりづらいために賛否両論になってしまいました。 このような主人公の特殊なスタンスは、この2作品独自のものだと思います。一歩引いた主人公が二作連続で作られていますので、宮崎駿監督のスタンス自体が変わっていったと考えるのが良さそうですね。 {/netabare}ポニョ(金魚?人面魚?):{netabare} ポニョは明らかに金魚には見えないのですが、金魚であると言われ続けます。で、こちらが金魚であることをしぶしぶ受け入れると、途端に「人面魚!」と言われてしまいます。あまりの衝撃に「ファンタジーじゃないの!?」と思ってしまうのではないでしょうか。 ただ、ここはあまり深く考えなくてもいいのです。ファンタジー要素を受け入れる側と受け入れない側が、作中にも存在することを描いていただけです。簡単に言うと、魔女宅の魔法と同じです。田舎では受け入れられて、都会では受け入れられない。このギャップが、地理的な部分に属するのではなく、個人に属しているのが「ポニョ」の世界です。 ポニョが金魚であることを受け入れた人々は、グランマンマーレをも受け入れています。受け入れなかったトキは、グランマンマーレをも受け入れません。これらの対比が存在することが伝われば、とりあえずは問題のないところです。トキの特殊性が伝わればなお良し、くらいのものです。 {/netabare}ポニョの世界観(三段階の構造):{netabare} この作品は、セオリー通りに世界観の説明から始まっています。 先入観としては、海と陸で対比があるのかな、と考えると思います。海のシーンはCMでもお馴染みでしたし、タイトルは「崖の上」のポニョですからね。海(特に夜の海)というのは、彼岸というか死の世界というか、ここではない世界の象徴にも使われますから、海と陸の対比という先入観を持ってしまう。これ自体の否定はされていないんですが、若干の修正がオープニングで行われます。 オープニングで描かれているのは、次の構造です。 ポニョたちの領域である深海、ゴミのある浅瀬、人の領域である陸地。 陸地の先にある崖の上まで含めると四段階の構造なんですが、とりあえずは三段階で話を進めます。浅瀬は海の側に入れたくもなりますが、ゴミにまみれた人に浸食された部分ですから、中間的な領域としてどちらにも含めないのが正しいように思います。 で、この構造というのは、他の宮崎駿作品で既に使われているものです。それは「ナウシカ」。 自然の領域である腐海の深層、毒のある腐海の表層、人の領域である陸地。 「ポニョ」と「ナウシカ」のどちらも、深層は人の住まわぬ浄化された領域で、陸地が人の領域、中間層は両者がせめぎ合う領域です。海か森かの違いはありますけど、基本的な構造の部分は酷似しているのが分かると思います。両者とも非人間側の氾濫ともいうべき、大海嘯が起こることまで一致していますよね。 で、この三段階の構造を、作中で一番表現しているのがポニョです。 魚と半魚人と人間。どれか一つの形態にとらわれずに、コロコロと姿かたちを変えていました。半魚人の形態は、足が出てから手が出るとか、目が離れて口が大きくなる感じとかが、カエルのように見えます。デボン紀というは、両生類が出現した時期ですし、両生類には水陸両用のイメージがあります。魚と人間の中間である半魚人の形態は、海と陸の中間という部分が強調されていたのだと思います。 もう一つ挙げておきます。ポニョは海の深層出身で、浅瀬を経由してソウスケのもとにやって来ます。そして、水道水に入れられます。海の生き物で、しかも海がすぐ近くにあるのにも係らず、あんなにジャブジャブと水道水を掛けられるので少し驚きますよね。これも三段階の構造を説明するための描写のように感じました。海の深層の水を出て、浅瀬の水を経て、人工の水に触れた、ということですね。 {/netabare}ポニョの魔法:{netabare} ポニョは人間になりたいと願います。この願いは魔法の力に頼らねば達成できないものでした。ポニョは、魔法の力を使って人間になります。ですが、期せずして、世界のバランスまでもが壊れてしまいました。魚が人間になる方法は、世界のバランスを壊す魔法でしか達成できなかったのでしょう。リサの言う「変えられない運命」を変えるものです。 ただ、ポニョに世界のバランスを壊す意図があったわけではありません。人間になろうとして世界のバランスを壊すことを選んだのではなく、人間になったらたまたま世界のバランスが壊れてしまった、というだけです。 世界のバランスが崩されたことにより、月と地球が接近してしまいます。月が接近してくると海面が上昇します。満潮と同じの原理ですね。そして、空に月が、地表に海がある世界が誕生します。 この月と海の世界について考えてみます。 海は分かりやすいですね。フジモトの集めた「命の力」が海に放たれたわけですから、生命の海・原初の海が誕生したということです。これはカンブリア紀という言葉につながります。海の世界であるカンブリア紀は、カンブリア大爆発という生命の爆発があった時期です。実際には力が足りず、デボン紀までしか戻りませんでした。 月については、公式HPに「昔から、女性の象徴であるといわれています」と書いてあります。これは、太陽を男性とみて、月を女性と見る(やや西洋的な?)考え方ですね。moonの語源とか、月の女神アルテミスを述べたものだと思います。グランマンマーレもその初登場時に、海面に写る月へと融合していきます。 これにより、「海に母性、空に母性」で母性に包まれた世界が誕生します。この世界の創造の原因となったポニョがソウスケとキスをすることで、魔法の力の喪失、父性の獲得、そして世界の再生となるのだと思います。 ちなみに、月は男性となることもあります。日本では太陽神アマテラスが女性で、月の神ツクヨミが男性ですからね。個人的には、太陽は、強さの象徴である男性よりも、命の象徴である女性の方がしっくりきます。それもあってか、私は「海に母性、空に父性で、再生準備完了」と整理していました。これがポニョとソウスケに投影されて、男女のキスで再生スタートという流れですね。まぁ間違ってましたけど…。 {/netabare}大津波後の世界(四段階の構造):{netabare} 大津波後の世界について考えていきたいのですが、まずは過去作の整理をしておきます。 漫画版「ナウシカ」のエンディングは、自然や命をないがしろにした人類は滅んじゃうかもよ、というものでした。確たる希望に薄く、滅びの色が濃いのが特徴です。 これが「もののけ姫」では少し変化しています。 サンは「アシタカは好きだ。でも人間を許すことは出来ない」と言っていましたよね。人類という種族自体は許されませんでしたが、ごくわずかな個人に近いレベルだけは自然側が受け入れてくれました。その上で、「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう」という擬制的な共生が結論になりました。そして、この結論を出したアシタカをエボシが受け入れます。双方が譲歩することで、自然の世界を五分五分で分け合うのではなく、ちょっと間借りする形で人類の居場所が許されました。 いずれにも共通するのは、この世界が本来は自然のものだということです。<自然=生>を基本とし、人間が自然に敵対してしまうことから<人間=死>となります。これが「ナウシカ」での人間滅べというメッセージです。ただ、人間が自然の一部であることを思い出せば、<人間=死>の中に「生」が許されます。これが「もののけ姫」の結論ですね。つまり、三段階の構造の先には四段階目があるのです。 これは「ポニョ」の世界でも確認できます。それが陸地の先にある高台です。ソウスケたちの住む崖の上の家は、電気・水道・ガスというインフラが、他から独立していることが説明されています。つまり、低地に頼らずとも生きていける場所です。それゆえに、みんなの希望の光を放つ家となります。 作中では描かれていませんが、大津波によって多くの人が亡くなっている可能性は高いです。ですが、それで人間を全滅させようとしていたのではなく、一部の人々を救うための高台がきちんと用意されているのです。町を水没させることで人間の領域と中間層を自然の側にし、<人間=死>の上に四段階目の「生」を浮かび上がらせたのです。 まとめるとこんな感じです。 「ナウシカ」:三段階のせめぎ合い→大海嘯による中間・人間領域の自然化→人類滅亡?。 「もののけ姫」:三段階のせめぎ合い→シシ神様の花咲による中間・人間領域の自然化→四段階目誕生。 「ポニョ」:三段階のせめぎ合い→大津波による中間・人間領域の自然化→四段階目誕生→????。 「ポニョ」では、「ナウシカ」と「もののけ姫」の中心(バトルと自然化)ががっつり省略されているのです。四段階目のその先をどうするのか、ってのが「ポニョ」の主題なのです。 {/netabare}トンネルの先の世界:{netabare} 他のサイトの考察には、「大津波で人間は全滅した。トンネルの先は死後の世界だ。ソウスケたちは死んでいる」というものが散見されます。この考察は、この世界を生の世界と捉えて、トンネルを異世界の入り口とし、トンネルの先を死の世界と考えているのでしょう。人間を主体として、その生死で世界を見るような作品においては、この考え方はおおむね正しいものです。 ですが、いつでも正しいわけではありませんよね。宮崎駿監督が自然と人間を描くときには、この世界に生を異世界に死を見るのではなく、この世界を自然と人間に分けて、生と死のせめぎ合いとして見ています。トンネルの前後に生と死を置くのではなく、トンネルの前に、既に生と死が存在しているのです。「ポニョ」の大津波や「ナウシカ」の大海嘯は人間を滅ぼし得るものですが、自然にとっては再生の儀式なんです。人間だけが主体ではないですよね。 宮崎駿監督は、水没後の船に乗っている人々は生きている、と明言していました。船には、波が高まった時にリサカーの通過を阻止しようとする、ドックの作業員の二人が乗っています。彼らについて、「彼らのように頑張っている人間が生きていることを、子供にも分かるようにしなくてはいけない。子供はそれを敏感に感じ取るから」と語り、彼らを船に乗せました。四段階目に属するアシタカやソウスケのような人物は、他にもまだいるってことです。 トンネルが異世界の入り口だというのは正しいと思います。トンネルだけではなく、大穴や井戸など、先の見えない暗く長い通路は、異世界の入り口という意味を持つことが多いです。そこを越えた先が異世界です。路地裏とその行き止まりの扉も同じ効果を持ちます。ポニョとソウスケは、トンネルの向こう側へと到達しました。 では、生と死が既に描かれている「ポニョ」において、トンネルの先とは何だったのでしょうか。 それは、生と死を超越した世界、グランマンマーレの支配する世界です。グランマンマーレについて、宮崎駿監督は「海の神」だと言っていました。また、「どれくらい生きているのか分からないが、ちょっとやそっと死んだくらいでは気にもしない」みたいなことも言っていました。長い年月を通じて、多くの生と死に触れて来たからこそ、局所的な死など気にならないのでしょう。「もののけ姫」のシシ神様と同じですね。個々の死など些末なことなのです。人がたくさん死んだとしても、「素敵な海」の一言で終えてしまうのです。抱えているスケール自体が違うのです。 ポニョの魔法の力は無尽蔵ではありません。使うたびに半魚人に戻ったり、眠くなったりしてしまうのです。トンネルに近づくと、魔法の力を使わなくとも眠たくなってしまいます。 ポニョはトンネルに至って「ここ嫌い」と言っています。トンネルの先には、ポニョの魔法が通用しないグランマンマーレがいるからです。ポニョは人間でありたいために、魔法の力を失いたくありません。それゆえにトンネルを嫌うのです。事実、トンネルの通過中に半魚人に戻り、トンネルを抜けると魚に戻ってしまいました。 なお、この作品に死のモチーフが多いというのは同感です。ただ、死んでいるから死のモチーフを置いているというのは違うと思いますけどね。影を描くためには光が必要だ、正義を描くためには悪が必要だ、というのと同じように、キラキラした生を描くためには、色濃い死を描かねばならないのです。 {/netabare}エンディングと世界の行く末:{netabare} ポニョの魔法により、世界は大混乱してしまいました。そして、子供たちの尻拭いをするのは大人たちの役割です。 フジモトは、強制的にポニョを魚に戻し、魔法の力を奪うことで世界に安定をもたらそうとしました。しかし、ポニョに不自由な生を続けさせることを否定し、子供たちに世界の行く末を託そうとしたのがグランマンマーレです。 人間になるか、泡となって死んでしまうか。人間になれば魔法の力がなくなると説明されていますので、泡になってしまうと魔法が解除されなず、人間は破滅へと向かってしまうのでしょう。生死にこだわらないグランマンマーレだからこそ出せる解決策です。 おそらく、グランマンマーレとリサの間で交わされていたのは、この合意だと思います。世界の行く末を託せるほどに自分の子供を信用しているかどうか、といったところでしょうね。フジモトやグランマンマーレの力で世界をもとに戻すのではなく、未来に向かう子供たちの力に大人たちは賭けたのです。そして、結果は大団円でした。 私はこのエンディングを見たとき、宮崎駿監督の思想がまた変化した!と驚きました。前述の通り、今までは「ナウシカ」のほぼ人類滅亡エンド、「もののけ姫」のごく一部許容エンドだったんです。子供の可能性を見せる作品はたくさんありましたが、自然と人間の対比の中では、可能性を持つ子供を主役に置きませんでした。 そしてこの「ポニョ」です。世界が滅ぶかどうか、人類の行く末は子供たちに委ねてしまおうじゃないか、となったんです。子供のように異種族を素直に受け入れられる気持ちがあるのなら、未来はきっとあるんだよ、です。子供を介して人類への許容が広がりました。宮崎駿監督が本来求めていたのは、人間のいない自然に満ちた世界、フジモトの目指した海だけの世界です。これを脇に追いやってしまいました。 これってすごい変化ですよね。老齢に至って、過去に固執せずに、さらにその先を見せるというのはすごいことだと思います。でもまぁ、人類への破滅願望は基礎にあるわけですけどね…。 私は、宮崎駿監督ほど悲観論者ではありません。未来?なんとかなるなる!と言ってしまうタイプです。宮崎駿監督の天才性は絶賛しているんですけど、思想の部分では相容れないところも多いんです。 私がポニョが好きな理由は、この譲歩が見られたことも少なからずあるのかもしれませんね。でもまぁ、人類への破滅願望は基礎にあるわけですけどね…(2度目)。 {/netabare}おまけ:{netabare} もし「ポニョ」を見る機会があれば、ポニョやソウスケが大事なものを手放すタイミングにも注目してみてください。 ソウスケにとっての大事なものとは、船と帽子です。これはポニョやリサを守るという覚悟や決意の象徴です。これを手放すのが、いつで、なぜなのか、見逃さないようにしましょう。 ポニョの大事なものはバケツですね。これが必要なくなるのは1回だけのはずです。 これ以外にもポニョのお気に入りはたくさんあります。そして、気に入ったものは抱えてしまい、手放そうとはしないのがポニョなんです。そんなポニョが、誰かのために自分の物を渡してあげるシーンがあります。ポニョの成長が見れる貴重なシーンです。 点灯したライトもお気に入りなんですが、これはおそらく金色だからだと思います。金色は魔法の色、命の色、人間になれる色だからでしょう。ライトを手放すのはハチミツのためでした。ハチミツも金色です。 {/netabare} 私は「ポニョ」を見たときに集大成だと感じました。宮崎駿監督の人生の集大成は「風立ちぬ」だと思いますが、「ナウシカ」から始まった自然と人間の物語は、この「ポニョ」が集大成なんだと思います。子供のウォーキングを眺めるだけの作品なんかじゃありませんよね。 作品の魅力を伝えられたかは分かりませんが、この作品を気に入ってくれる方が少しでも増えると嬉しいです。

「将太、俺ラルクのCD欲しいから向かいのTSUTAYA行こうぜ!」 「んじゃお前TSUTAYA行けよ。俺その間にコンビニ行ってくるから。」 やけにテンパりながらヒデが 「コンビニ後でいいじゃん!TSUTAYA行こうよ!」

1話感想 異世界転生では無いファンタジーもの。 まあ娘を拾って育てるのは珍しくもないですが、まあ普通に悪くない内容です。 娘は可愛らしいし主人公にも好感は持てました。 ロリコンでは無いですが普通に父性を持って見ました。 でもまあ成長した娘を嫁にするならそれはそれでOK。流石に今この状態で嫁にするのは有りえませんが。とはいえ作画のレベルが低い…。 原作とかコミカライズはなかなか絵も良さそうなのですが、どうしてアニメはこう微妙なのか。 悪くない内容なのだからもうちょっと頑張って欲しかったかなあ…。 悪くは無いので見たい気持ちはあるのですが、優先順位を付けて見れる順に見たら多分入らないと思います。

やっぱね、相手がどんな状態だろうと言葉に気をつけるのは当たり前の事です! コンビニでお釣りをもらう時でも一言「ありがと」ってゆうだけで お互いが気持ちよくなるじゃないですか。 何故気持ちい方向へ行こうとしない! きっとそうゆう心遣いができない人は自分の事でいっぱいいっぱいで 相手に気をつかう余裕なんかないんですね。 哀れ極まりないです。

この学校には7人の魔女がいる――。問題児の主人公・山田竜とこの魔女たちがキスをしては能力の入れ替わり、を繰り返すというもの。機転を利かせて能力を使い分けるというのは面白い。 ですが、その度にキス。 マンネリが生まれてきます。 設定上、仕方のないことだと割り切るしかないですけど。でもシチュエーションを変えたり、同性同士でしたりと、飽きさせない努力みたいなものは伝わってきました。作風は好み。 多彩な笑いとスピーディーな物語。 この点は素晴らしいです。それに題材がキスということで若干のエロスがあります。 とても良かった・・(ボソッ見所は声優さん。 入れ替わるという都合から、一人数役の演技が見られます。 何てお得。 キャストも豪華なので、一人でもお気に入りの声優さんが出てるならば観て損はないかと思います。キャラはデザインからしてみな可愛い。 特に雅と寧々はかなりタイプです。 主人公他男性陣もけっこう好きでした。公式サイトにて乳比べが掲載。 これは悪意?好意? 気になる方は要参照です。 参考になるかもしれません。(何のだよ・・)OP「くちづけDiamond」 歌-WEAVER ED「CANDY MAGIC」 歌-みみめめMIMI--------------------------一見少し変わった作品ですが、中身はわりとラブコメの王道だったと思います。 学園ラブコメ好きは観るべし、ですかね。 絵も綺麗なのでけっこう楽しめるのではないかと。制服が可愛かったのもこっそりと評価したい点です。

エイトビット制作。死によって突然のスライムへの転生。 暴風竜ヴェルドラとの出会い小さなスライム伝説の幕開け。転生ものにしては面白い解釈がある。 舞台は人魔がせめぎ合う広大な大陸ですが生前の三上悟は穏やかで平和主義者だったため{netabare}異世界転生=大陸の支配というより他の種族との交流や国造りに焦点が当てられている。{/netabare}我々がもし無人島に漂着すれば常識を持つ大人なら飲料水の確保体温を一定に保てる寝床の確保こういった身近なことから始めるでしょう? 間違えてもこの国は俺のものだ!にはならない。 もちろん戦闘もあるのですが。オーバーロードのようなエンタメ感とグリムガルのようなどこか身近さを残す基本はお気楽転生コメディなのでしょう。最終話視聴追記。 後半が駆け足になってしまい{netabare}異種族も話せばわかるの世界設定が物語に平坦な印象を残した気もします。 普通の人生を歩むはずだった男の転生物語1人の女性の想いを引き継ぎ街を作る。{/netabare}ここから先は知らないままでお気楽冒険譚として楽しもうと思います。

授業中に物語性のある一人遊びをする関君。 関君は用意周到な上、器用。 遊びというより、職人芸の域です。隣の席の好奇心旺盛な横井さん。 そんな関君が気になるご様子。 こちらも、なんだかんだ言いながら授業そっちのけ。 横井さんの心のツッコミと驚きと興奮が楽しいです。関君は横井さんを意識している感じ。 横井さんも関君をじっと見つめています。 こう書くと、二人は相思相愛のようですが・・・。 少なくとも、横井さんは関君の最大の理解者でしょう。このアニメを支えるのは声優さんの演技ですね。 関君役の下野さんはセリフなし。 セリフなしでの演技は難しそう。 一方、横井さん役の花澤さんは語りっぱなし。 豊かな感情表現が笑えます。 ラストのタイトルコールは本編テンションのまま。 GJでした。

アニメレビァーの笠さんが異種族レビァーズをやってくれると聞いて!。~♪(BGMツァラトゥストラはかく語りき)みなさん、こんにちわ。本日は今期屈指の意欲作「異種族レビュアーズ」について語っていこうと思います。今回は作品の各論につきましては、他の方も語っていらっしゃると思いますので、本作の何が一番重要で、本質なのか語っていきます。今回のレビューのタイトルの副題をいぶかしく思われた方もいらっしゃると思います。この副題は、ニーチェが著作につけようと考えていたものでして、今回のBGMも合わせて、本作の重要なポイントは、ニーチェの思想における誠実さの重視に通じているからであります。何を言ってるんだ!、これは只のスケベアニメやろ!という非難をされる方もいらっしゃると思いますが、まぁまぁ冷静にお聞きください。作品が内包している思想とは、何も作中で哲学や思想について議論している物をさすわけではありません。いかなる人も、別に哲学を勉強しないでも価値の優先順位、意味の有無について自然と判断しているものです。即ち、作品においても言明されずとも、自然と制作者が身に付けてきた無意識的な価値観、思想を反映しており、多くを語らずとも語っているのであります。少々横道にそれてしまいましたね。では、本筋に戻りましてニーチェが語った誠実さとは何か?。それは形式に堕した道徳を捨て、裸になって自身と向き合い、率直かつ情熱的に誠実さを追求すべし!というものなのです。本作は、偽善、責任逃れ、忖度、不誠実が横行している現代日本において、そういった悪徳が最も蔓延っているスケベの世界の中で、大胆にも瞠目すべき誠実さを貫き通した作品なのであります。そのことはopの歌詞の幕開けから明きからですね。「スケベが大好き!」。なんと率直で隠し事のない誠実な叫びでしょうか…。私はこの時点で感服いたしました。男なら、いや実は女性だってスケベが大好き、これこそ人類全てに共通する真実ではないでしょうか!そして、彼等は更に先に進むのです。「エロいこと好きならば、種族超えた仲間さ!」。この言葉は、グローバル社会である現代においてなんと気高い叫びでしょうか。スケベが大好き、この人類共通の想いで繋がれば人類融和という夢も幻ではないのです。違いではなく、共通するところに目を向けるべし!。多様性の尊重などという単なる言葉ではなく、この精神こそ今後世界において重要になっていくでしょう。更に、本作は一般エロアニメというジャンルの中でも他を圧するスケベに対しての誠実さを誇っています。他作品は、あくまでスケベは要素に過ぎませんでした。あるものはラブコメ、あるものはバトルという形式を表面上とり、本当はみんなが見たいスケベはオマケ的に示してきたに過ぎません。こういうった作品の中にも勿論優れた作品があることは否定致しません。しかし、スケベに対して誠実であったか?というと疑問であります。そこで本作です。本作にスケベ以外の何がありましょうか?。何もない。純粋にスケベを追求しているのです。繋がってるところが映らないだけで完全に本番なのです。胸糞悪い要素もなく、実に爽やかですらあります。逆にこっからどう進んだらいいのか?と心配になるほどです。ここまで語れば本作の重視さが皆さんにもわかっていただけたかと思います。各話における、ここヌキ!ポイントなどの詳細につきましては、近いうちに刊行予定の私の著書「始めにスケベありき」でのべたいと思います。本日はお付きあい頂きた、真にありがとうございました。インタビュアー「はい、本日は世界的スケベ学の権威、スケベフスキー博士のインタビューをお届けしました。皆さん、ご興味を抱かれたら是非ソフトの購入をお考えください。(何言ってんだか全然意味わかんねぇ…。帰ったらメイドリーちゃんでヌこう)」。

こう、ごあいさつするのは、何もただ年末だからではありません。

そして小道具作りも正念場! 稽古場のすみに新聞紙を広げ切ったり貼ったり塗ったりしております。 工作大好きな私としては楽しいひととき(^-^) 紙粘土なんか触ったの小学校以来だし!楽しーい♪ なんかすごく癒されました(笑) たまにはこういう懐かしい物で遊んでみるのもいいかもですね!

<2019/10/6 初投稿> 原作未読です。 とりあえず最終12話まで観終えました。賀東招二さんが原作・構成・脚本も キャラクター原案は村田蓮爾さんということでハードル上げすぎたかも。 というわけで辛口レビューです。異世界と現実社会がつながったとある都市での警察バディもの。 主人公は地球人の警察官ケイ・マトバ(♂)と異世界の騎士ティラナ・エクセデリカ(少女)とある事件で行動を共にすることとなった二人が価値観の相違からぶつかりながら〜という感じです。 ところで、最初から仲良しのバディものって最近のアニメじゃ本当に見かけないなー(´・_・`)設定や雰囲気、音楽や声優さん、そして村田蓮爾的絵柄は好みでした。 村田蓮爾のキャラクター原案で今期もう一つ「BEM」という作品がありましたが、本作の方が村田蓮爾の良さが出てる感じ。 物語もあらすじだけ読んだら大好物。なのになんか物足りない。正直、絵はお安いです。 ティラナが可愛いだけ。 あとは手抜き言われても仕方ないかも。 手抜きといっても手間暇かけてないんじゃなくて、なんて言えばいいかな。 そう。 絵の美しさが感じられない。アニメの製作工程はよく知らないけど色合いがなんか単調。 例えばも少しセピア調にするだけでも雰囲気よくなるのに。 なんならモノクロの方が良いくらい。あとこれは演出なんでしょうか。 こういうちょい渋めの作品ってわかりきってるシナリオをどうハラハラワクワク見せるかが全てな気がするのですが。 なんかハラハラもワクワクもあんまりしない。 もしかしたらシナリオの方か? いや構成? 賀東招二なのにこれ?という残念感。上に挙げた2点以外は好みです。

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