もしかして清楚系ってもう流行じゃないの?

もしかして清楚系ってもう流行じゃないの?

1: 君の名は 2025/08/04(月) 13:08:02.13 ID:GJUPf
街歩いてる若い子腹出して短いスカート履いて足だしてるけど 韓流系の服着てるんだけど 乃木坂みたいな膝丈スカートとかおばさんしかいないんだけど

2: 君の名は 2025/08/04(月) 13:08:46.39 ID:6ksB6
オッサンがいう清楚系なんて古過ぎるわ 何十年前の感性だよ

3: 君の名は 2025/08/04(月) 13:09:59.12 ID:YjBum
清楚というか同じようなロングワンピ着た量産系ならまだ全然いるだろ

4: 君の名は 2025/08/04(月) 13:12:24.09 ID:GJUPf
>>3 10~20代のトレンドではない

10: 君の名は 2025/08/04(月) 13:18:29.83 ID:GJUPf
特に10代 穴が空いたジーンズか、ミニスカートか、ホットパンツ 丈の短いトップスで腹チラ なぜかピチピチの服着てるんだよな

15: 君の名は 2025/08/04(月) 13:22:47.21 ID:f4bKf
基本的にファッションは韓国ものがずっと流行しているからでしょ

24: 君の名は 2025/08/04(月) 13:30:28.99 ID:6zsWI
乃木坂だってメンバー自身がプライベートじゃ腹出して歩いてるからね

26: 君の名は 2025/08/04(月) 13:38:53.43 ID:NSUxt
清楚系なんてそもそもいない

29: 君の名は 2025/08/04(月) 13:41:30.07 ID:lchFe
そんなの好きなのは声優とかウェザーニュースとか乃木坂が好きなやつしかいないだろ いわゆる弱男ってやつ

40: 君の名は 2025/08/04(月) 13:54:30.79 ID:GJUPf
>>29 これ

47: 君の名は 2025/08/04(月) 14:01:17.65 ID:fcpEN
>>29 正論だから何でも言っていいわけじゃないぞ

34: 君の名は 2025/08/04(月) 13:44:50.40 ID:aRcZ2
実際メンバー私服は別に清楚系ではないしな

48: 君の名は 2025/08/04(月) 14:03:26.81 ID:KY4tD
まあでも割と普通にお腹とか出してるよなとは思う

51: 君の名は 2025/08/04(月) 14:07:35.17 ID:GJUPf
胸が目立つピチピチの服を着ない 腹を出さない 太ももを出さない これ当てはまる服装が清楚

52: 君の名は 2025/08/04(月) 14:09:11.84 ID:JrjdE
不倫したけど露出少ない永野芽郁は清楚だなw

63: 君の名は 2025/08/04(月) 14:21:56.06 ID:VvoGI
清楚系なんて流行った事無いと思う

77: 君の名は 2025/08/04(月) 15:00:53.36 ID:jMMLK
常に需要はあるけどメインストリームではなくなったな AKBのカウンターでウケた清楚の終わりやね

80: 君の名は 2025/08/04(月) 15:02:29.93 ID:LckQJ
>>77 これ

90: 君の名は 2025/08/04(月) 15:46:40.94 ID:rElOn
>>77 カウンターでウケたとか、どんな暗黒の腐った世の中だよ

95: 君の名は 2025/08/04(月) 15:58:17.52 ID:mc3fs
>>90 最初期はアンチAKBが原動力で、 王道のキラキラブリブリの逆を行く大人しい文化部的な雰囲気でヲタを獲得していったので、 カウンターというのは正解だよ

・【画像】井上和の最新の動画、完全に『やりすぎ』。Xのヲタが騒然wwwwwww ・小坂菜緒が最後まで居た理由 ・センターってこの人達じゃダメだったの? ・【乃木坂46】井上和、衝撃のビキニカットが解禁!!!

引用元URL:https://talk.jp/boards/nogizaka/1754280482

もしかして清楚系ってもう流行じゃないの

逆に言えば、子供をもたないという覚悟もある。子供を育てることは大変だと覚悟しているからこそ、もたずつくらずもち込ませず。お金というわかりやすい観点で説いてくれたのが、ネットニュース編集者の中川淳一郎さんだ。「もし、子供ができたら、あと20年くらいは死ねないじゃないですか。公立と国立に行かせても数百万、私立だったら数千万円。その金を用意するために働かなければいけないでしょ。俺にとって仕事は苦行ですよ。できるだけ仕事する期間を短くしたい。のんきにドラクエやって、海辺でアジを釣ってその日の晩酌の肴にする人生を送りたいんですよ」 子供が大人になるまで面倒をみるという責任感があるからこその、非「親」宣言だ。その根源はどこにあるのか聞いてみた。「子供の時、家が貧しかったんです。父親はほとんど日本にいなくて、いたとしてもほとんど家に帰ってこなかった。麻雀狂いと言っていましたが、実際のところはわかりません。とにかく、貧しくて子供がいるということは大変だと肌で感じていました」 中川氏には2歳上の姉がいる。「俺が6歳の時、弟や妹が増えて、さらに貧しくなるのはイヤだと姉と話したんですよね。もし弟や妹ができたら、多摩川に投げ捨てに行こうね、と結託していたんですよ。弟や妹はいらない、だったらドジョウやクワガタのほうが欲しい、と」 昔で言うところの「間引き」だ。これを末恐ろしい感覚だとは思わない。そもそも子供は残酷な生き物だし、幼少期の中川さんの心情は理解できる。 実は、私にも弟か妹がいた。40歳になるまで知らなかったのだが、あるきっかけで知ることになる。私が女性誌の取材で韓国へ行った時、たまたま入ったのが占いカフェだった。イケメン占い師に占ってもらったら、「結婚はダメ。仕事は心配ない。そして、あなたには妹か弟がいたはずで、その子が守ってくれている」 と言われた。ん? 変なことを言うなぁと思って、正月に実家へ行った時に、その話を母にしたところ、「いたのよ。でも3人は無理! 育てられないと思って中絶したの」 と答えた。初めて聞いた話だ。家族にはそれぞれの歴史がある。でも、当時の母の選択を私は受けとめた。母にも個人的にいろいろとあった時期でもある。母の選択は間違っていないと思った。そして、占いとは罪悪感をそそることで儲ける職業だと痛感した。 話を戻す。中川さんはさらに心強い言葉をくれた。「世間では子供を育てることが神聖化されるし、少子化を憂いて国力が減退するとか言うけど、うんこ食ってろ、です。日本より人口が少なくても成り立っている国はたくさんあるし、俺らが国家や国力に寄与する必要なんかないですよ」 ホントだ。私たちは国家のために生きてなんかいないのだから。

テレビのニュースを観ていると、つい疑う癖がついた。このニュースははたして真実なのだろうか、と。テレビというのは、オンエアするまでに実にさまざまな関門がある。その関門をくぐり抜け、精査されたことだけが情報となって流れているのだから、事実であることは間違いない。でも、それが真実であるとは限らない。 たとえば、親が子供を殺した事件。まあ、殺人事件の半数以上は家族内や身内で起きているのだけれど、ニュースで報じられる情報が真実かどうかまではわからない。「親が我が子を殺めるなんて……信じられない」と思わせるようなニュースでも、内情は違うかもしれない。人間性のかけらもない、この先生きていても、人様に迷惑をかけるだけの子供を、親が責任をもって命を絶った、という背景があるかもしれない。 逆に子供が親を殺した事件。一方向だけから聞くと、「親を殺すなんて、鬼畜だわ」と思うかもしれない。でも、その陰には介護疲労があったのではないか、想像を絶する人格否定や親子不和があったのではないか、と想像してしまう。 さらには、夫婦間殺人事件も、殺された夫は妻に対して卑劣な暴力を振るい続けたのではないかと思ったり、殺された妻には夫が精神的に苦しめられてきたのではないかと思いを寄せてみたり。 私は、被害者・加害者関係なく、なんとなく子供サイドや妻サイドに立って観てしまうことが多い。自分が子供であり、妻だからだ。でも、もし親という立場になっていたら、親サイドから観ることが多くなったのだろうか。 時々、私も夕方のニュース番組に出演している。といっても、報道ではなくエンタメコーナーだ。フジテレビの『みんなのニュース』という番組で、漫画家のやくみつるさんのコーナーである。やくさんがお休みの時のみ、代打として出演している。 その番組のスタッフで、お世話になっているAさんと話していて、気づいたことがある。彼は子供4人を育てた男性だ(うち3人は成人した)。いつもおおらかで寛容だなぁと思っていたら、それは「親の目線を持っている」からだった。 もちろん、彼の性格的なものも大きいが、いい意味でいいかげんなのである。口うるさくあれこれ指示するのではなく、黙って見守る姿勢が身についている。不干渉で何か起きても受け流すのが上手なのだ。それはまさに私にとっての「親そのもの」だった。 そう思った時に、私にはない「親目線」をうらやましいと感じた。でも、子供がいなくても、多角的に物ごとを観ることは可能なはずだ。小さなことに目くじらをたてず、気にせず、受け入れるように見せて、実はさらっとしれっと受け流していく。 巷に流れる情報をまんま鵜呑みにするのではなく、いろいろな方向から眺めてみること。人も物ごとも。それがもしかしたら「親心」ってやつなのかな、と思った。

手術の後、生理が通常通り戻ってきた。出血量が多く、下腹部痛も強い。妊娠のことはできるだけ考えないようにしようと、仕事や旅行の予定をがんがん入れた。友達も気を遣ってあえて誘ってくれたのかもしれない。 ホームページで日記を書いているのだが、友人たちはそこを読んで私の近況を知ってくれている。そのせいか、みんな、優しい。 今思い返してみると、この2か月の間にあちこちへ出かけている。埼玉の奥地へアユを食べに行ったり、岡山県の犬島へ舞台を観に行ったり、滋賀の友人の別荘へ遊びに行ったり、京都へ観光に出かけたり。夫の友人たちと静岡の健康ランドへ泊まりに行ったり。女性誌の仕事で、韓国へ取材にも出かけている。姉と草津温泉に1週間の激安湯治旅にも出かけている。 ひとりになりたくなかったんだと思う。余計なことを考えたくなかったんだと思う。 とはいえ、子連れや家族と一緒に過ごすこともあった。子供を愛でるフリをしながら、まったく別の話題へとすり替えるのに必死だった。自分が話題の中心でなきゃイヤだという人がいるけれど、まさにあの時の私はそうだった。鼻持ちならない、イヤな女だっただろうな。 ペラッペラと得意げに自分のことばかり話す自分自身に嫌気がさす。家に帰ってから落ち込む。なんで一緒に笑いながら、子供や家族の話をできないのか。これ、一生続くんだろうか。あの不全感が私を狭量にした。 たかが不妊治療で失敗して流産しただけ。でも、お金をかけて再び治療を始めようとまでは気力がわかない。たった1回の流産で完全にすっぱりあきらめることができればよかったのだが、実際はそうでもなかった。40歳で自然妊娠する可能性もゼロではない、と頭の片隅で思っていた。だから、その後も避妊はしなかった。 中途半端なのだが、心のうちはこうだ。「体外受精でもできなかったのだから、自然妊娠する確率は相当低い。それでも、もし妊娠するのであれば、きっと産め、という啓示なのだ」 ただし、別居婚だし、夫も干物屋の立て直しで精神的にかなり忙しい。排卵日付近に会えるときはできるだけセックスをしていたが、タイミングはそううまく合わない。 スパッとあきらめたのだったら潔いのだが、実際にはダラダラと「できたらいいな、でもできないだろうな」のモヤモヤ期が続いたのである。 日記を読み返しても、しばらくの間は「妄想妊娠→生理がきてがっくり」を繰り返していたようだ。「妊娠してねーかな」「できてるかも」「もしや妊娠?」などの文言が徐々に減っていく。それよりも「生理きた」「腰が痛い」などの文末が目立つようになっていく。 人生最後の妄想妊娠は2014年9月。3年間はモヤモヤしていたんだな。

◆読み解き方の例 ◎カウンセラーさんからの一言「ちょっと人見知りなところがありますが」=コミュニケーションが苦手な可能性があるので、まずは笑顔で緊張を解いてもらってから自分が多めに話そうと戦略を立てる。 ◎カウンセラーさんからの一言「今時の男性です」=コミュニケーションには自信がある可能性が高いので会話の主導権は任せて楽しく相槌をうつ。それだけだと「つまらない」と思われるかもしれないのでこっちからツッコミを入れたり、たまに冗談を言ったりして、会話が弾む(人気の男性にとって「適度に会話に手応えがある」)と思われるように戦略を立てる。 ◎趣味「海外旅行、マニアックなアニメ、漫画」など巷では婚活ウケの悪いと言われている趣味を敢えて書く=結婚後もこれだけは続けたい、理解してほしい趣味なのだと解釈して、あえてその話を深く聞くよう戦略を立てる。

・会話の「間」の違い 会話のテンポや間の取り方が合わないと、お互いに居心地の悪さを感じることがあります。 例えば、ハキハキとよくしゃべる方と、無口な方は会話のテンポが合わないと感じるかもしれません。一方で、話すのが好きな方と聞くのが好きな方は、話していて案外心地よいと思うかもしれません。これは個人が心地よいと思うかどうかによります。笑いのツボが合えばフィーリングが合うと思いやすいです。・感情表現や非言語コミュニケーションの不足 笑顔やうなずき、アイコンタクトなどの非言語的なサインが不足していると、相手に興味や共感を伝えることが難しくなります。「もしかして自分の話に興味がない?」と思うと、距離を感じてしまい、お相手とフィーリングが合わないと感じることが多いです。

おいおい、妊娠の話はどうした、と思っているかもしれない。ちょっと脇道それて熱くなりすぎました。で、直接そこにつながるのが、最後の転換期です。 彼は静岡に戻り、家業を継いだ。といっても、開けてみると大変な状態だった。干物の卸売業なのだが、義父は自分の代で終えようとしていた。そこへ45歳の息子が突如帰ってきて、継ぐという。正直、商売が立ち行かなくなっていたというのが実情だったようだ。 彼はまず通信販売で小売りを始めた。そこは私も得意分野なので、私の友人たちの力を借りた。カメラマンに商品を撮影してもらい、デザイナーにホームページを作ってもらい、パンフレットも制作した。 私は私で、テレビコラムという新規分野に戸惑いつつ、しかも絵も描かなければいけないので、試行錯誤の日々。フォトショップなんて使ったことがなかったのに、独学であれこれと学んだ。同時に、医療健康系や女性誌の仕事も続けていった。結構忙しかったのだ。静岡へ移住という話は、徐々に、でも確実に薄れていった。 そんな時に、東日本大震災が起きた。2011年のあの日、幸運なことに、ちょうど彼が東京に来ていた。午後の新幹線で静岡に戻ろうとしていた時、大きな揺れが襲った。 我が家はえらく揺れた。食器棚から食器が飛び出して割れた。本棚から本がすべて飛び出し、パソコンを直撃した。冷蔵庫も開いて缶ビールやら何やらが飛び出した。私はちょうど原稿の締め切りを終えて、ひと息ついたところだったが、完全にパニック状態に。 何はともあれ、猫を守ろうと思った。猫もあまりの異常事態に、香箱を組んだまま固まっていた。本当に異様な状況だったが、彼は冷静かつ迅速に動き、割れたモノを踏まないよう私に指示を飛ばし、避難を誘導してくれた。パニック状態の猫を入れたキャリーケースを肩にかけた私は、なぜか冷蔵庫から落ちたビールを手にとっていた。「それ、今、いらない!」 と彼に怒られた。そして家の外に出て、エレベーターのボタンを押した私に、「違う! 危ない! 階段で逃げるんだよ!」 と彼。その後も、彼は的確な指示を出し、キャリーバッグを抱えて青ざめた私を近くの寺の境内へと誘導した。携帯電話がまったく使えない状況で、テレホンカードを手渡し、「とりあえず実家に電話して安否を確認して!」 と言う。なんて頼もしいんだ! しかもテレカを今時常備してるなんて! 揺れが収まった後も、テキパキと動き、家の中の片づけをしてくれた。 完全に惚れ直した。「ああ、この男と一生一緒にいたい」と思う前に、なぜか、「ああ、この男の子供が欲しい」 という気持ちが改めて体の底からわいてきたのだった。

●誰もがオトナの事情と宣伝戦略 SNSで子供のことや子育てについて書いている人は多い。無垢な子供の驚異の発想、人間の真理を学ぶというものも多い。いいなぁ、うらやましいなぁと思う前に、逞しき「あきんど(商人)マインド」だと思うようにしている。 つまり、これらは決して「子供がいるから幸せ」アピールではなく、戦略なのだと思うようにした。子供を利用して、自分の仕事の営業活動を促進しているのだ。 自分の仕事を増やすために宣伝活動をするのは、当たり前のことだ。大人の戦略として、どんどんするべきだと思う。そこにたまたま子供がいただけ。何もマウンティングしようとしているのではなく、えげつない商業活動だと思えばいい。 そう思えたのは、ある知人男性(俳優)のツイッターのつぶやきについて、本人と話した時に意外な答えが返ってきたからだ。 その人は、とにかく洗濯の話をつぶやく。晴れた日はとにかく毎日洗濯から始まっている。洗濯ばっかりしてるのね、と聞いたら、「あれは専業主夫層を取り込むための戦略です」 と言ったのだ。いや、実際に洗濯もしているのだが、ははーん、なるほどと思った。 妊活は妊活中の支持層を、出産は出産前後の妊婦さんの支持層を、専業主婦は専業主婦層を、自民党は大企業と高額所得者層を、共産党はインテリ庶民層を。ターゲットを絞り込むための戦略的宣伝活動と思うと、心のザラつきは滑らかになめされていく。逆にあっぱれ、と思うし、その「あきんどマインド」を見習いたいと思うようになるから。 もちろん、ここでまた別の羨望の芽と呪いの言葉が出てしまうこともある。「子供ネタ・子育てネタで稼ぎやがって。ママタレ・パパタレ気取りでコノヤロー」 ……そこは理性で抑えよう。黒い自分を飼い馴らせ。子供ネタ・子育てネタに勝る豊富なネタを自ら探せばいい。

今のご時世、産まないことは「親になること」や「子育てすること」から逃げているととらえられるのかもしれない。「要は自分勝手で無責任に生きたいだけでしょ」と心ない言葉をかける人もいる。 でも、産まないと決めた人は、少なくとも自分自身とイヤというほど向き合っていて、自分からは逃げていない。欲しくないという意思を貫き、パートナーがいる人はお互いひざを突き合わせて、意思の疎通を図った結果でもある。逃げているどころか、逃げずに立ち止まって向き合った結果、産まないと決めたのだ。 つうか、そもそも自分勝手に生きて、何がいけないの? 結婚しないことや産まないことで誰かに迷惑をかけるだろうか。独身者や子なし夫婦は「苦労していないわがままな怠け者」のように扱われるのも心外だ。 少し前までは、若い人は結婚願望が強いと聞いた。早く出産してお母さんになりたい、という女性も多いそう。よくよく聞いてみると、その根っこには「キリキリとストレスためてまで働きたくない」「頑張って働いても先が見えている」「家庭に入ってのんびり暮らしたい」「夫と子供というステイタスがほしい」などの打算も嗅ぎとれる。不景気が続き、一切夢を見ることもなく、厳しい現実ばかりを突きつけられてきた世代にとって、結婚や出産は「逃げ」なのかもしれないと思った。 でも、若い人たちが出した答えは、なんとなく胸がすく。バブル以降、私たちの世代があくせく働いたわりに、おいしい思いをしている人や幸せになっている人がそんなに多くないという事実。それでも、苦労している人が礼賛される日本の社会に対して、「そういうの、いらないから」と突きはなしたのだ。肩透かしで笑える。 逆に、離婚も多いご時世、結婚自体に何のメリットも感じない人も増えている。結婚して子育てして幸せそうに見える人がいない、ともいう。結婚して子供を産むのが当たり前ではなくなり、むしろこの勢いだと、母親になる人のほうがマイノリティになるのではないかという時代だ。婚姻関係や戸籍、家族の絆や血のつながりにこだわりや押しつけがなくなれば、実にいい社会になると思ったりもする。 それこそいろいろなスタイルがあっていい。独身も既婚も、戸籍には何の関係もない人同士が共同生活を送ることもある。別居婚もあれば、週末婚もある。子だくさんもいれば、子なしもいるし、養子をとって育てる人もいる。一生ひとつの会社に勤めて、ひとつの職業をまっとうする人もいれば、常に複数の仕事を請け負う人もいる。結婚も家族も生活も、いろいろなスタイルが確立し始めているのに、国政や行政が前近代的な家族主義を押しつけてくるから、齟齬が出ているわけで。多様性とかダイバーシティって陳腐になっちゃうけれど、「これがTHEマジョリティ」と決めつけないことが必要なのではないかしら。

オンナ性の身体的イメージは、単純に言えば乳房と子宮。源を辿れば女性ホルモンということになるのだろうけれど、乳房や子宮がなくても女だし、女性ホルモンが出なくなっても女である。そこに固執してしまうと、すべてが女性ホルモンに翻弄されて、ゆだねられて、依拠することになってしまう。 言葉を選んで書くべきだとは思うが、子宮がんや乳がんになった時、摘出手術を拒む女性もいる。「乳房を取ったら、子宮を取ったら、女でなくなってしまう」と考える人がいる。もちろん、生活全般のことを考えると、できるだけメスを入れたくないという気持ちもあるだろう。個人差は大きい。 私にもし摘出手術が必要になったら、できるだけ迅速に摘出してほしいと思っている。言葉は悪いが、とっとと取ってほしい。それで病巣が取り除けるなら、治癒するならば、よい方向へ向かうのなら、躊躇はしないだろう。女としてのこだわりよりも、命を選ぶ。なぜなら、女性の特長である臓器を取ったとしても、私が女であることに変わりはない。オンナ性は体じゃない。自分自身だと思う。 今の時代、女らしさという言葉自体も、人によって定義が異なる。身体的特徴を表すこともあれば、元気で活発でエネルギー値が高い人を「女子っぽ~い」というケースもある。面白い話のひとつもできないが、相槌を打つのが上手な人を女らしいと評価したり、人の話を聞かないタイプの人が「いかにも女だよね~」と言われることもある。髪の毛が長いだけで女らしいという人もいれば、ジーンズにTシャツでも女らしいと表現されることもある。もう、女らしさも多様性がありすぎて、いちいちこだわるのもバカバカしい。 嫉妬という漢字はどちらも女編だ。嫉妬と言えば女と想像しがちだが、実際には男の嫉妬のほうがえげつなくて、バカバカしくて、醜い。「うわ、こんなことするのか!」と思うようなことを平気でやる。陰湿なのはどちらかといえば男のほうだ。 さらには、男性でもメイクしたり、女言葉を使う時代だ。もう男らしさとか女らしさにこだわったり、そこにアイデンティティを求めると苦しくなるだけではなかろうか。 最近、どピンク色のふんわりしたワンピースや赤いスカートを買ってみた。私が思春期の頃に、恥ずかしいと敬遠していた色だ。自分では意外と悪くないなと思った。でも、その服を着た私に、知人や友人は違和感を覚えたようだ。「なんかイメージが違う」 やっぱり、長年私が築いてきたパブリックイメージとは異なるようだ。でも、それはオンナ性の強弱や有無ではなく、視覚の惰性による違和感なのだ。見慣れないからイメージが違うだけ。これからも実験的に赤やピンクを着てみよう。フリフリにも挑戦してみよう。

自分の思いと主張だけをとにもかくにも語ってきたわけだが、ここである人物に登場してもらおう。夫である。夫との過去をそれなりにあけすけに説明したのだが、実のところ、夫はどう思っていたのか、どう考えていたのか。「結婚した時は子供を欲しいなと思ったよ。せっかくだったら自分の遺伝子を残したいと思ったし」 結婚したのは不妊治療のためなので、このあたりは微妙に記憶があいまいになっていると思われる。でも遺伝子を残したいと思ったのか……すまんな、残せなくて。「しょうがないじゃん。まあ、友達や知り合いの子供が高校生で野球やっているとか聞くと、うらやましいなと思ったりするけどね。ないものねだりをしてもしょうがないから、そういう子たちを応援するってことで」 不妊治療に非協力的かつ懐疑的な男性が多いという嘆きはよく聞いていた。実際に、ある飲み会で出会った、非常に知的な男性が思いもかけない言葉を発したので驚いた記憶がある。彼は「不妊治療で産まれる子供には高確率で問題がある」と発言したのだ。本人にそういうイメージをもたせたのは、たぶん周囲のごく一部の人の経験であって、不妊治療すべてが主語ではない。でもその悪辣な印象操作は、余計に産めない女性を苦しめるだろうなと思った。 で、うちの夫はというと、非常に協力的だった。協力的だが、実際にはなんにもできないというのが実情なのだけれど。「潮ちゃんがやりたいと言って始めたことなので、そりゃ協力するよ。でも俺から不妊治療をやってくれ、とは言えないし、言わないかな。いくら金があったとしても、大変な思いをするのは女性のほうだから、強制的にやらせるようなことはしないよ」 その節は大変お世話になりました。そういえば……若かりし頃に女性を妊娠させたことがあると言っていたっけ。「うん。実は3人くらいいたんだよね。うちふたりは中絶したと言っていたんだけど、ひとり、年上の女性はなんだかんだで別れて、音信不通になっちゃって。仕事をやめて実家に帰ったと聞いた。後から聞いた話では、女の子がいるんだって」 え? それってあなたの子をひとりで産んだんじゃないの?!「いやわからない。でも別れる前に『子供好き?』って聞かれた。その時なんて答えたか忘れちゃったけど、役者やってて、とても養える状況じゃなかったから……」 うぉぉ! 知られざる家族の過去! ファミリーヒストリーじゃねーか。もしかしたら遺伝子を残せたのかもしれないよ! 逆に、すごいぞ! 連絡とれないのか?! 聞いているそばから興奮した。だって夫の子供がいるかもしれないなんて!

同棲して半年ほどたった頃、彼が車にひき逃げされて大けがをした。間の悪いことに、私は友人と海外旅行へ行っていた。ペルーのマチュピチュとナスカの地上絵を巡るツアーで、すっかり南米かぶれして浮かれて帰宅したら、家に傷病兵が横たわっていた。肋骨は数本折れて、背骨の突起も骨折。両腕の皮膚はズル剥けになり、額の横は切れて打撲を負っていた。 彼は少しやさぐれていた時期でもあったため、誰かと喧嘩したのだと思った。「誰にやられたんだ!」 と問い詰めた。もう怒り心頭、必ず復讐してやると鼻息荒くなった。犯罪被害者の家族の気持ちはこういうことかと実感した。こういう時って怒りで震えるんだよ、手が。 どうやら彼には記憶がない。酒に酔って帰宅途中、家の真ん前でひき逃げされたらしいというのだ。本来なら入院レベル、全治1か月の大けがだったのだが、私は1週間不在。我が家の猫の世話をしなければいけないと思った彼は、無理やり帰宅したという。病院の医師もひき逃げの可能性が大きいと言っていたそうだ。彼は、自分が酒に酔って記憶がないため、半ばあきらめ、泣き寝入り寸前だった。んもう! ひき逃げは現行犯が原則だし、時間との勝負だよ! 着ていたTシャツは血まみれで、ズボンにはタイヤ痕。そこから私は執念の捜査を開始した。確かに、我が家の前の道路を見ると、血痕がついている! もう『科捜研の女』(テレビ朝日)の沢口靖子ばりに事故現場を推定し、そこから100歩ほどの交番に問い合わせた。 ところが、交番レベルではまったく動いてくれない。しかも酒に酔っていた彼を酔っぱらい扱いして、まったくらちが明かない。 次に、近くの防犯カメラの映像を探した。ところが、町内会の防犯カメラ映像は、プライバシー保護のため、警察が動かない限り見せられないという。映像は1週間しか保存されていないというから、時間がない。もうこうなったら直談判。 我が家から最も近い警察署に、血まみれのTシャツとタイヤ痕のついたズボンを持参し、大けがしている彼も連れて行った。交通捜査課の警部補が即座に動き、翌日には犯人が逮捕された。初老のタクシー運転手だった。点数がなかったため、つい逃げたという。犯人は有罪となったが、懲役1年執行猶予3年。確定してから謝罪に来たが、もうあとは保険の問題だ。逮捕までの数日間悔しくて、眠れなかった。ハゲが広がっちまうところだった。愛する人が犯罪に遭った時、怒りがこんなにも全身を巡るものかと初めて体験した。 この事件によって、彼の心の中にも転換期が訪れた。死についても考えたらしい。当たりどころが悪ければ、死んでしまったかもしれない。いろいろなものが重なり、静岡の実家へ戻ることを決意したという。

カウンセリングでは、そんな「心の整理」や「思考の棚卸し」のお手伝いもしています。

「孫の顔が見たい」という言葉は巷でよく聞く。私は言われたことがない。私の母は「勉強しろ」「仕事しろ」「結婚しろ」などと一切言わない人だった。おそらく、言われる前に私が自分からとっとと決めてきたからだ。そもそも、進学、就職、結婚、離婚は親が決めることじゃないし。「失敗しないように」口を出す親ではなく、「失敗してもあんたの人生、私には関係ない」というスタンスを貫いてくれた親だった。 あまりの無関心に、一抹の寂しさを感じないでもない。でも、母は無関心ではなく、不干渉なのだ。これは大きな差がある。今思うと、本当にありがたい。 逆に、自分のほうから「子孫繁栄できなくてすみません」と心にもない言葉で謝ったことがある。ある時期、60代以上の男性と話すことが多かった。彼らの口からは、子供の話ではなく孫の話が出てくる。おじさんたちは「子供は可愛くないけど孫は可愛い」と口を揃えて言う。なかには、「孫ができて初めて、自分が生きている意味を知ったし、役割を果たしたと思った」 などと話す人もいた。へぇ。そんなもんですかねぇ。これは子育てを妻に任せっぱなしで、子供をもつ実感を持てなかった人の言い訳だと心の中で思った。きっとこういう人が「孫の顔を見たい」と無神経に口走るんだろうなぁ。 周囲に、自分の人生を振り返り始めた懐古主義のおじさんがあまりに多かったので、私も親に「孫が欲しかった?」と聞いてみたのだ。母はさらっと答えた。「孫なんて今さら面倒くさいわ。俳句でも孫のことを詠む人は多いんだけどね、孫俳句はベタベタに甘くなるから、格調が低くなるのよ。男性に多いのよね、『園児』とか『お昼寝』とか詠んじゃう孫バカが」 母はここ十数年俳句をやっている。70~80代のグループにいて、初心者は孫を愛でる俳句を詠む人も多いのだとか。孫がいない母は、孫俳句を詠む人を蔑み、鼻で笑っている。もちろん心の中で。でもうらやましいとか思わないの?「ちっとも思わない。孫がいたことがないから、わからない」 母、かなり突き抜けている。もし孫がいて世話を頼まれてでもしたらマジ勘弁、という気持ちも全力で表れているではないか。 おそらく父も子供が苦手だ。もう認知症が進み、恍惚とする時間が長くなってきたのだが、過去に子供だの孫だのの話をしたことはない。考えてみたら、私の親はどちらも不干渉の人だった。だから、「そろそろ孫の顔が見たい」という言葉は我が家の辞書にはない。 さて。自分の家がそんな具合だから、ほかの家の常識やスタンス、文化が珍妙に感じることもある(いや、珍妙なのは我が家なのだけれど)。子孫繁栄が当たり前の責務というご家庭では、女たちが結婚や出産を強いられる。女だけじゃないか、男もか。本人は仕事が楽しくて幸せで、充実した毎日を送っているのに、親族郎党からは「欠損感」や「不全感」を押しつけられるという。特に、自分の兄弟姉妹が子孫繁栄に成功した生活を送っていると、比べられてしまうのだとか。「誰かが繁栄してくれているんだったら別にいいじゃん」と思うんだけど。世の中には珍妙で無駄なプレッシャーが多すぎる。

最近、独身の女友達と飲んでいると、よく聞く文言がある。「彼氏も夫もいらないけど、子供だけ欲し~い」 ちょっと前までは、「いつかは欲しいが今じゃない」だったのに。男の価値、急落したな。 子供だけ欲しいとはどういう気持ちなのか、どんな深層心理なのか、私にはわからない。シングルマザーで大変な思いをしている人も知っているので、とてもそんな気になれない。そもそも妊娠するかどうか、無事に出産できるかどうかすらわからないし、育てるところまで考えが及ぶはずもない。でも、そんなもんだ。妊娠・出産、そして子育ては、未知の世界なのだから。最初っからこういうものだとわかっている人なんて、いないよな。 そんな中、私の友人でさらに一歩進んでみた女がいる。彼女には長年大好きな男がいるのだが、アプローチはしていない。同じ職種で話も合うが、親友止まり。もはやソウルメイトだ。彼は非常にモテる男で、女に困ってはいないが、結婚願望もまったくない。一生独身を貫くと宣言しているそうだ。彼女は思い切って聞いてみた。「結婚とか認知とかそういうのは一切いらないので、精子だけいただけませんか?」 と。子種だけ欲しいと懇願してみたのだ。彼には大爆笑されて、断られたという。よく言えば、度胸のある女。悪く言えば、デリカシーのない女。でも欲望の形がわかりやすくて、遠回りするよりはいい。断られたが、今でも仲よし、ソウルメイトのままだそうだ。 なぜ彼女は子供を欲しいと思ったのか。私と同じように、決して子供を好きなタイプではない。むしろ厳しい。傍若無人に走り回ってるガキには大きな舌打ちをする女だ。私が全方位外交で善人ヅラしている横で、彼女は「親が悪い!」と眉間にシワを寄せる。ある意味、まっとうな子供嫌いである。 彼女の場合、実家の苗字を名乗るのは自分が最後になるという感覚があったようだ。年老いた親に孫の顔を見せてやりたい、などの思いもあったのかもしれない。ただし、真意をただせば、子供が欲しいのではなく、「彼の子供」が欲しかったのだと思う。 これ、私にも心当たりがある。心底惚れた相手の子供が欲しいと思ったことがあるからだ。吐露するならば、「惚れた相手をつなぎとめたい」のである。男をつなぎとめるボンドとして子供は最強じゃないかと思っていたのだろう。 でも、出産後は男の価値が大暴落するらしい。赤子の一挙手一投足に必死な女からすれば、なんの役にも立たない夫は「不要」なのだという。ドヤ顔でイクメン気取りされても、ツメが甘かったり、後始末が大変だったりして、結局は手間を増やすだけなのだとか。「夫、邪魔。ホントどっか行っててほしい」という声は結構な確率で聞いてきた。 この男の子供が欲しいというのは、ロマンティストのたわごとなんだね。

一度は妊娠して大喜びしたものの、喜びもつかの間、失ってしまう。これが流産というやつか、と思い知った。たった5週の流産でもこれだけ落ち込むのだから、もしもう少し順調に育ってからの流産だったら、相当キツイだろうな。不妊治療に関係なく、流産を経験した女性はとても多いと聞く。悲しみと悔しさをバネに、次の妊娠に向けて頑張る人もたくさんいる。 たった一度の流産で挫けた私はとても弱いです。根性ナシです。でもそんな自分を許したいです。ホルモンとテンションの乱高下に、正直、体も心も疲れました。それが事実。 後から聞いて驚いたのだが、稽留流産で掻爬手術をする場合、全身麻酔をかける病院も多いんだってね。だから、数を数えて、はっと気づいたら手術が終わっていて、どんよりと下腹部が重い、で済むそう。 私は部分麻酔だったので、掻き出す感覚を体験してしまった。さらに、手術中も涙が止まらなくて、悲しいやら悔しいやら情けないやら恥ずかしいやらで、精神的にも肉体的にも拷問だった。記憶から抹殺していたけれど、思い出そうとすると案外鮮明によみがえる。 医者批判をするつもりはまったくないのだけれど、中絶手術を担当した医者が、非常に無愛想な男性で、冷酷に感じた。かすれ声の芸人に似ていたので、今でもあの芸人を見ると、うっすら嫌だなと思ってしまう。 あの医者はテキパキと仕事をまっとうしただけで、非難すべきではない。自分が敏感になっているせいで、淡々と冷静に話している人を冷たいと感じてしまっただけだ。さらに、部分麻酔をかけているから痛いはずがないのに、痛みを感じた。痛みに強いはずの私が、物理的な掻爬の動きだけで痛いと勝手に感じたのだ。 でも、このうえなく温かい言葉で優しくされても、逆に涙が止まらなかったかもしれない。 手術の際の看護師さんがものすごくさりげなく優しかった。 たぶん、手術台に乗っかる前から鼻をすすって涙を流していた私を見て、フォローしなきゃと思ってくれたに違いない。でも、決して余計な言葉はかけない。ゴリゴリと掻き出している最中、私の手をそっと握っていてくれたのだ。優しくふんわりと。これにも、どうしようもなく泣けたんだよね。あの看護師さんにお礼を言いたい。お気遣いをありがとう、と。 その日は、私と同じように流産の手術をする女性たちが数名いた。顔と姿は見えないけれど、回復室ではすすり泣きの声がいくつも聞こえた。カーテン越しに、私もその輪唱に加わった。おいおいと声を出して泣くのではなく、無言で涙と鼻水が止まらない状態。なので、すする音の輪唱である。 何人かの女性と輪唱をして、しばらく休んだ後、クリニックを出た。下腹部がずしんと重い。足取りも重い。9月5日でまだ暑い時季なのに、帰り道に汗は出なかった。

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